・・・でも、やっぱり好きと言います。こんな気持ちになったのは久し振りなんだ。大切にしたい、と思った。・・・ 私のラブレターから〉

 

1998年8月23日。はるか遠い昔である。この日の神戸の天気を知りたくてAIに聞いてみた。天気は「晴のち一時曇」、最高気温33・3度、降水量0ミリ。「厳しい暑さの一日でした」と返ってきた。令和の酷暑ほどではないにしても、昼間は強い日差しが照りつけたことだろう。そんな残暑の神戸で、私は大学卒業以来1年5カ月ぶりに彼女と再会した。

 

鳥取から神戸へは特急で2時間余りの距離だ。おそらく朝早い列車で発ち、三ノ宮駅で待ち合わせ、彼女の案内で市内を歩いて回ったのだろう。ラブレターには彼女との神戸滞在は「8時間」と書いてある。神戸を散策するのは私は初めてだった。

 

熱いアスファルトの上、二人がどんなルートをたどったのか、記憶はほとんど抜けている。ただ、北野で昼食をとったことや、港に出て震災のメモリアルパークを見たことは覚えている。阪神大震災からまだ3年。街は復興の途上にあった。

 

お互い学生から社会人に環境が変わり、積もる話はたくさんあったと思う。私はまた先輩風を吹かせて、同じ仕事に就いた彼女に何かアドバイスをするつもりだったかもしれない。

 

しかし、神戸の街で彼女から打ち明けられたのは思いもよらないことだった。

 

春に就職したばかりの会社を辞めるというのだ。退社日は少し先だが、近いうちに東京へ戻る。その後は公務員試験を受けて、官僚を目指すという。

彼女は配属先で想像以上の長時間労働を強いられ、この仕事を続ける自信がなくなったと打ち明けた。一度は上司に担当替えを申し出たが、君は新人がめったに行けないようなポジションに配属されている、恵まれている立場なのに外してほしいとはどういうつもりか、というような反応で、本人は絶望的になったという。(彼女の配属先は、この業界では社を問わず花形とされてきた部署で、最も労働時間の長い集団の一つであった)

 

あの日曜日の深夜に彼女が勤務先から送ってきたファクスには「この仕事はこんなに地味で大変なの!?」と書いてあった。その吐露に違和感はなかった。私も含め、多くの同業者が初めに面食らう職業イメージとのギャップだったからだ。まだ「ブラック企業」という言葉はなかったが、この業種は確実に該当していた。過酷な労働環境に耐えかねて、一年目で退職する仲間は私の会社の同期にもいた。

とはいえ、まさか彼女がそこまで心身を追い詰められていたとは、あの文面から感じ取ることができなかった。就職氷河期のさなか、彼女は当時の人気業種の大手に就職を決めた。新人ながら花形の部署に配属されたということは、上から期待もされていたのだろう。その会社にわずか数カ月で見切りを付ける決断の速さに私は驚き、一種のショックを受けた。ひと月前に武庫之荘の住所を教えてくれたのに、もう引き払うというのだから。

 

あのファクスは「相変わらずお忙しいのでしょうか」という書き出しだった。退職を決心するまでの数カ月、慣れない土地でひとり彼女はどれだけ思い悩んだことだろう。彼氏がいる、と彼女は神戸で言った。その人が精神的に支えていたとすれば、私がいかに惚れたとて、すでに出る幕はなかったのだろうと思う。

 

当時はそこまで考えが至らなかったけれども、彼女に連絡を取るのも、好きになるのも遅すぎた。つまりは「縁がなかった」のだ。

 

 

(続く)