あの日、彼女が私に会ったのは、自分の決心を大学の先輩に直接伝えるためだったのだろうと思う。神戸を一日案内したけれど、それ以上の意味合いはなかったはずだ。
だがその日の私は、隣を歩く彼女に対して次第に募っていく恋愛感情と葛藤していた。彼女との距離を縮めるどころか、転職する、東京に帰る、彼氏がいる、聞くことすべてが逆方向に動いていた。ラブレターにあるように、本当に動揺が隠せなかったのだろう。想像だが、彼氏の存在を私に告げたのは、好意に気づいた彼女の優しさだったのかもしれない。
会話の断片が記憶に残っている。
私:
今度は東京で就職かあ。うらやましいなあ。
彼女:
うらやましくないですよ。私は挫折したんです。
●●さんは将来どこかの支店長とかになって、たくさんの文化人と交流してくださいね。
その吹っ切れたような口調に、何か自分との間に線を引かれたような寂しさを感じた。目の前の彼女は、一度は志した職業と決別しようとしている。
こんどは社会問題の解決に直接関われる仕事をしたいとも言った。それは裏を返せば、彼女がいま心身を削られている場所では、その解決に役立っている確かな手応えが感じられなかったということだ。彼女の真っすぐな志は学生時代と変わらず、社会の片隅で困っている人々への温かいまなざしが感じられた。前を向いて、次の目標を一生懸命語る姿がまぶしく見えた。
神戸に夕日が沈むころ、二人の8時間が終わった。明日は会社があるからと、彼女は武庫之荘に帰って行った。夜の神戸に残された私は、東門筋のバーで飲んだあと投宿した。そして翌日ハーバーランドに立ち戻ってラブレターをしたため、悶々とした思いを抱えて鳥取に帰った。
しばらくは返信を期待していたと思う。しかし夏が過ぎ、秋が深まっても彼女からの便りはなかった。わずかに抱いていた望みが絶たれたことを私は悟ったことだろう。あるいは、返事もくれないことに傷ついていたかもしれない。
25歳の失恋の痛みは、日々仕事に追われるなかで徐々に薄れていった。それでも、ラブレターの下書きは捨てなかった。
1998年が終わるころ、それは不意に届いた。
(続く)
