映画を観てきた。
『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』
全盲の美術鑑賞者・白鳥建二さんの日常や活動を追いかけたドキュメンタリー映画である。(書籍もあるらしい。)
最寄りのミニシアターのサイトで、このタイトルを見たときに受けた衝撃は言葉にすることが難しい。
一言で表すと、
『目が見えない』のに『見にいく』って、どういうことなんだろう。
ものすごく不思議であると同時に、どんなふうに『見る』んだろう、とものすごく純粋な好奇心が芽生えた。
白鳥さんは、ときには一人で、そしてときには友人たちと美術館に赴く。
ほかでもない、美術鑑賞のためだ。
1つの美術作品の前に立ち、友人や美術館のエデュケーターが、その作品について様々な見解をざっくばらんに述べる。
白鳥さんはそれを聞いて「うん。」と返事をしたり、ときには笑ったりしながら、作品に思いを寄せる。
作品の感想には、当然見た人それぞれのフィルターがかかっている。
その人の暮らしている背景、育ってきた環境、大切にしていること…それらが表すすべてが、白鳥さんにとっては鑑賞の対象なんだろう。
一枚の絵から、受ける印象はさまざまだ。
人の数だけ、感想がある。
この映画を観て、なぜ私たちは美術や芸術に触れるのだろうと改めて考えた。
私たちは、おそらく、厳密には絵画を観に行くのではない。
絵画を通して、自分に会いに行っているのだと思う。
自分が何に心が動くのか、何を感じ、そのときにどんな思いが生まれるのか。
そうして、新しい自分を見つけたり、懐かしい自分に出会ったりする。
白鳥さんは、まるで本当に見ているかのようにイメージを膨らませながら、隣にいる人を見ているように感じる。
その人が、どんな人生観を持っているのか、何に心をうごかし、ときめくのか。
美術作品との対話を通して、人の心と対話をしているように見えた。
白鳥さんは、とてもユニークでおちゃめだった。
猪苗代の美術館で自分が展示物になって数か月を過ごしていたのには、度肝を抜かれた。(笑)
そんな遊び心のある白鳥さんだからこそ、美術館に行ってみようという発想になったのだろうと思う。
普段、サービスディにしか映画を観に行かない自分が、ギリギリで滑り込み、(ものすごく久しぶりに)定価で観た本作。
気づきや発見は数え切れず、そして私もアートを見にいきたいと思った。
まだ見ぬ自分に出会うため、そして人を知るために。