いつもお読みいただき、

ありがとうございます。

 

 

久しぶりの投稿です(>人<;)

 

 

開運龍女鑑定士でもある私、

 

ここのところ、

少しでも多くの皆様が開運し、

理想の未来を手に入れていただきたくて、

 

しばらく開運龍女鑑定に専念しておりました。

 

たくさんの方から喜びのメッセージをいただき、

私もとっても幸せな気持ちになっております(*^^*)

 

 

 

今日は、一息ついたところで、

こんなメッセージが降りてきましたので

シェアさせていただきますね。

 

 

【一緒にいて楽しい人より、

離れていて寂しい人を選びなさい】

 

 

みなさんは

こんな言葉を聞いたことありますか?

 

 

 

会えない期間が長いほど、

会えた時の喜びや幸せは大きい。

 

 

そして、じんわりと心に住み着くような、

人と人との安らぎを感じる相手、

そんな気持ちを持てる相手なら、

 

様々な困難があったとしても、

心のどこかで相手を思う気持ちを

持てそうです。

 

 

 

離れていて寂しいと思える存在は

偉大です。

そんな運命の人と出会えたら幸せですね。

 

 

 

 

 

ところで、「愛とは何ですか」、と聞いた時、

あなたはどう答えますか?

 

恋愛?

人を好きになること?

慕うこと?

人を思いやること?

人に親切にすること?

 

このように、今日では、

 

愛とは

 

「人を思いやること」

「人生において最も大切なもの」

 

などの捉え方がされていますね。

 

 

でも、実は昔の日本には、

「愛」という言葉に

そのような意味はありませんでした。

 

 

仏教では、

愛は迷いや貧(むさぼ)りの根源となる

悪の心の働きをいいます。

 

のどが渇いたときに

水を欲しがるような本能的な欲望で、

 

貧り執着する根本的な煩悩なのです。

 

愛欲、愛着、渇愛などです。

 

そのような「愛」は、

異性、お金、名声などへの「執着心」の意味であり、

 

仏教の「愛」は、

欲望の一種であり、煩悩の一つにすぎません。

 

仏教では、

「愛を離れること」が理想なのです。

 

 

 

 

なので、かつての日本人は、

この「愛」に否定的な意味しか見ていませんでした。

 

それが明治時代の頃から、

しだいに「愛」という言葉の意味が、

少しずつ変わってきたようです。

 

ただ、そのような煩悩からくる

愛だけではなく

 

けがれていない愛も説かれています。

「慈悲」と呼ばれているものです。

 

 

 

離れていて寂しい人は、

そんな慈悲の愛にも似た波動を

放っているのかもしれませんね。

 

 

皆様にも

「離れて淋しいと思う人」、

「淋しさを感じた時に思い出す人」

 

そんな方との出会いがありますように、

心から願っております。

 

 

 

 

でも、待っているだけでは

運命の人とは出会えません!!

 

大切なのは行動」

動くと運命は変わりはじめるのです。

 

 

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