人生を野球にたとえると何回ぐらいあるンだろうね?
公式野球の9回で終わりでなく、もっともっと長いのではないかな。
諦めない限り、延長は続くという考え方もできますよね。
とするなら、送りバントしてもいいのではないでしょうか?
送りバントは『犠打』と書くように、自身が犠牲になる変わりに走者を次塁に「送る」事。
ひらったく言えば、次に繫げるために今の損を受け入れながら進めていくってことでしょう。
物事で軌道に乗っているときは、送りバントのような発想はいりません。むしろ、流れるまま強気に進めてしまえば上手くいくのだと思います。
しかし、そう上手くいかない場合もあります。
野球に話を戻せば、ホームランはおろかヒットさえ打てないピッチャーがいる場合、そのピッチャーを打ち崩そうとしても非常に難しい。
強行するよりは堅実にランナーを進ませて1点をとりにいく。地味だしつまらないかもしれない。
でも、野球でなくても送りバントのように即効性がなくても進めていけばそこから道が開けることもあるかもしれない。
今の自分は、人生の1点を取るためにホームランを打とうとしても可能性はゼロでないにしろ、無茶を求めているといっても過言ではない。
だったら、数少ない小さなことを繋げていって1点取りにいったほうがいいでしょう。
僕の人生観ではホームランを打てる人のほうがずっと少ないと思うし、打てる人も技術、応援、追い風等、さまざまな状況に向くように積み重ねているものがあると思う。
それに送りバントって、自分を犠牲になるが相手を輝かせるという面では素晴らしいことかなと思うこともあります。
チームの勝利につなげるために、あえて自分をださずチームを生かす。
違ういいかたなら場の雰囲気のために自分がはからいをもつ。
そういった人も、社会では求められるのも事実ではないかと思ったわけです。