日本旅行をしながら、彼らは私たちとまったく違う点が2つあることに気づいた. まず我々は、6.25戦争のような悲運の内戦を経験しながら全国が焦土化されたため、鬱蒼な森を見ることはできないが、日本には、あちこちに数百年の森が残っているという事実だ。 韓半島が経験したような大きな戦乱が、日本本土にはなかったためだ。
大阪関西国際空港に到着した後、大阪城を見るために車に乗って走り出したが、都心をまだ離れていないところに、急に鬱蒼とした森が茂っている公園が視野に入ってびっくりした。 都心の真ん中にこんな森があるなんて、到底信じられなかった。 わずか60年余り前に私たちはソウル全体が砲撃で崩壊する現実を目撃し、血の涙を耐えなければならなかった。 しかし、この2次大戦で日本は多くの国を侵略して戦争に敗れたことにも本土の大半は戦争の惨禍を免れた。
また、日本全域の家庭には1、2本の木を植える造園文化が成熟していた。 城や寺院、役所、道路沿いなどの造園が行き届いているのは容易に理解できたが、個人の家まで狭い空間を活用して木を育てる姿は、我々が見習うべき課題であると思われた。
2つ目の違いは、商店や街がきれいで、甚だしくは人々の注目を集めない裏通りまでもきれいだという点だ。
もちろん、日本人たちも暗い夜になると、街中に平気でティッシュを捨てるという。 その代わり、夜の間に美化員たちがきれいに掃除して、朝の通勤の時はさわやかな街の姿を維持するというのだ。 しかし、昼間は街のどこを見回しても捨てられたティッシュや汚物がなかった。 街につばを吐いたり、吸殻を捨てる人もいない。 朝に行けば、どれほどきれいに掃除をしたかどうからんらん、トイレの水も1級水に人が安心して飲んでもいいとしている。
大阪城は新鮮な空気を吸いながらきれいな距離を走ったあと、都心の森の中をしばらく歩けば会える。 まず城を囲む水路が出た。 幅が100メートルも超えるようなこの水路は三重に大阪城の全体の周りを回る形になっている。 約1時間ぶりに市内の川を巡回できる水上バスも運行されているという。
城の中に入ると、エレベーターに乗って5階まで行けるようになっていた。 5階で降りた私たちは歩いて8階まで行った。 8階の展望台から四方を歩き回ると、一国の武士の城としては、その規模が大きすぎることに気がついた。
大阪城は天下を統一した16世紀後半の武装、豊臣秀吉(豊臣秀吉)と関連された城である。 大阪城は16世紀末に建てられ、17世紀の戦乱で焼失されていたが、その後再建されたが、天守閣(デンシュかく)だけが再び焼失されて20世紀前半になってから天守閣が再建された。 天寿閣議の内部は1階から7階までが当時の武器と鎧、民俗資料を展示した歴史資料館であり、8階は展望台が設置されている。
8階展望台から一部見られる大地と定員は合わせて119万平方メートルとした。 構内には約六万平方メートルの芝生公園があり、特に春に桜が咲く時期には花見の人でにぎわっている。 周辺には大阪の文化と歴史を紹介する大阪市立博物館と豊国神社、最高1万6千人を収容できる規模の大阪城ホールなどがある。
大阪城を見た後、日本最古の寺院である大阪の四天王寺を見に行った。 入口を入ると左側に北宗堂があり、石の橋を渡ると礼賛堂が現れる。 橋の下の池にはスッポンがあり、目を引いた。 極楽浄土(極樂淨土)の定員があり、中央に木造5階塔が建てられているが、東西南北に木造3間の門がある。 北門に守護神王2人と南門に二天王の2人がいた。 この寺は西暦593年に聖徳太子によって建てられ、日本で最も古い寺院である。
大阪のグルメスポットとして有名な道頓堀と心斎橋を回って初めて日本人の生活を間近に見ることができた。 心斎橋デパートやブランドファッション売場が立ち並ぶ華やかな街で、若者が多く、夜遅くまで店を開いて商売をするという街だった。 距離の道幅は10メートルぐらいだが、車がまれな代わりに中央に自転車が整然と建てられている。 建物は美しく街はきれいであり、ベンチも置かれており、空気も澄んでいるため、都心の真ん中にあるということが信じられないほどだった。 本当にクリーンな環境だった。
15日朝9時頃に奈良県奈良市内にある東大寺寺に行った。 同大舎は木造建築で周囲は樹木で鬱蒼と改装されている。 冒頭にある大化厳寺は四天王門だった。 西に神将が左右に配置され、内部には動物形の石造物があった。 境内に入ると、まっすぐに伸びた木々が丁寧に作られていた。 小さな渓谷とともに、向こうの原始林が生い茂った森が調和を成していた。 ふもとに建っている建物のほとんどは付属寺院だという。
寺の中に入るには、四方を囲む長い回廊を曲がらなければならない。 中央にある大仏殿(大佛殿)は2階になっているが、建物構造は4階で造成されていた。 大仏殿のすぐ前に八角青銅灯があり案内者に問い合わせたところ、韓国から来た百済時代の職人が作った青銅灯だと言った。 大仏殿の中に祀られたのは毘盧遮那仏である。 高さ14メートルに及ぶこの仏像は耳の長さだけで2メートルであり、鼻の内径は成人が出入りできるほどに大きな穴を遂げた。 手の平の上に成人17人が乗ることができるほど巨大な仏像だった。
京都市に位置する清水寺は、京都を代表する場所と言われるほど有名である。 清水寺広場に下車して幅が6メートルほどの狭い道路を約2キロ歩いて傾斜した山に向かった。 清水寺仁王門(仁王門)を経て、境内に入ると、木造で構成された3階塔が聳え立っていた。 その隣に経堂があり、途中くらいから下側が鉄製で封鎖されていた。 内部に重要文化財が保管されているという。 その上に田村堂がある。
本堂に入ると、前のステージが絶壁にかかっていて、100個以上の柱がこの舞台を支えている。 清水寺の本堂が大雄殿のような場所である。 内部には11面千手観音(千手觀音)を目前火(木殿佛)に祀られている。 縁を結ぶ観音菩薩の前で写真を撮り金閣寺に移動した。
3面が険しい山地(山地)にブナ科に属する木がうっそうと茂って調和を成した森の中を歩いて寺に差し掛かると、広い池が出た。 金閣寺は池の上にある3階建てで樓閣のために付けられた名前で3階建ての建物の2階と3階は完全に金で装飾されており、華麗かつ燦爛たる姿だった。 金閣寺は1397年山小屋だったところを節に作ったが、茶の間(茶室)のソクカチョン(夕佳亭)が有名だ。 武士である将軍や貴族だけが緑茶を飲みに来ることができ、平民は来られない所だというここは別名を茶道房ともいう。 金閣寺は1950年に放火で焼失して1955年に再建した。 歳月が経っても黄金色に色あせず、楼閣が光るのは、毎年京都市民の税金で金箔を上塗りしているからだという。 1994年には世界文化遺産に登録された。
続いて浄土真宗の本願寺という東本願寺を訪れた。 正門に真宗本廟の門を経て入ると御影堂は修理中なので阿弥陀堂に向かった。 本条火となった阿弥陀如来を安置しているアミ妥当は正面52メートル、側面47メートル、高さ29メートルに約10万8千枚の瓦を使い、畳が401枚、党内の柱だけを66社に達する壮大な寺だった。 特異なのは女性信徒たちの髪の毛で組んだという縄で厚さ30センチ長さ約69メートル、重量約375キロにのぼるが、この寺の柱を立てる際に引っ張る綱だったという。
オヨンダン(御影堂)は木造記念物では、日本最大と言うが、正面76メートル、側面58メートル、高さ38メートルに達し、瓦が約17万5千枚使われたとして畳だけ927枚、党内の柱は90個に達するという。 韓国、中国、日本などを見回したが、その中で最も大きな寺院だと言える。
翌朝、食事を終えて富士山に登った。 富士山の下から緩やかに傾斜した道路に沿って登ると、2千メートルの地点に原始林の木々(枯死木)たちがあちこち散らばっている姿が見えた。 しかし、いざ2千500メートルの地点に着いたら商店が立ち並んでいた。 車で4時間走って到着したそこの食堂で昼食を食べた。
食事を終えて大涌谷に向かった。 3千年前買った内部に閉じ込められていた水蒸気が爆発しながら創り出した火口の一部であるこの渓谷の流れる水はミルク色を帯びていた。 石になった階段を踏み入れ、急な山道を歩いて登ると地下10ヵ所あまりで100度以上の温泉水が湧き上がって掲載されていた。
大涌谷で15分の距離の山の中腹には自然的に行われた李大浩の数の芦湖がある。 湖の周りが100キロメートルとして水深は最高50メートルという。 四方はすっかり山に囲まれていた 火山噴火でできた巨大なカルデラ湖である芦湖は、火山大噴火当時にマグマが一気に噴出し、山頂と尾根が陥没した巨大な盆地が形成され、その陥没した場所に水が満ちて形成された。
そして東京の名致神宮を見て回った。 道路の両側が森をなしており、入口である神宮門は天の千字形をなしていた。 千年前に整えられた木の周りは2本ほどの大きさだったが、木に鼻をあててにおいを嗅ぐと香の匂いがした。 神宮とは、天王や天王の祖先とされる神がいる場所を意味する。 明治神宮は1920年に建設された神社として'明治天皇'の魂を安置したという。
神宮の前に大木が2本あり、左に組んで2本の木を束ねたが、夫婦和睦、嘉和万事成、すべての方々と仲良く過ごす木と書かれていた。 明治神宮には日本国民がそれぞれ一本ずつ持って来て植樹した木がたくさんいたけど、みんな365種に16万株が育っているという 。
東京市内全域を見て回る道に東京都庁45階展望台に登って四方の見通しをすべて見るようになった。 高いところから眺めると、東京の規模がどれほど広いかが実感できた。 東京の人口が1千500万人で、外郭の人口を合計すると、3千万人にもなるとしたが、視野が足りず、市内の最後を見ることができなかった。 続いて東京都内にある天草寺に立ち寄った。 本殿を見ると日本の武士を祀ったような神威があり、隣の建物に行ってみると観世音菩薩とその他の菩薩を祀っていた。 外へ出て、5階塔を見たが、あまりにも人が多く、それこそ黒山の波をかき分けているようであり、外に出た。
最終日、空港行きの車で行く途中、空港近くの成田新勝寺に立ち寄った。 表門に行ったが、参拝する人が多すぎて横行門で本殿に入ってみた。 不動明王真宮と記された扁額だけがあり、不動明王は祀られている場所はないので、再び上に上がると開山堂があり、光明堂があり、さらにその上に上ると木造か鉄製かは分からないが、不動明王が祀られていた。 周囲は、千年が経つ間、人工(人工)に誠意を尽くして育てた樹木がうっそうとした森を成していた。
今度の旅行を回してみると、富士山2千500メートルの地点に到着し、写真を撮るとき骨の髄まで浸透していた冷気が特に記憶に残った。 一方、日本全域が森を成していると言っても過言ではないほど、家庭にも数本の木を植える文化が成熟していることが印象的だった。 5日もの間、道路沿いに駐車されている車両の姿を見ることはなかったほどきれいな環境を作るため努力している日本人の市民意識を見習うべきだという気がした。



