社会的地位や経済力,武力などをはじめ,人間が持つことのできる力が相対的に優越な個人や集団を,いわゆる"甲"と呼ぶ。 これは相対的に劣等な存在である"乙"に備えていう言葉だ。 この甲が乙に自らの優越的力を行使して合理的な権利以上のものを取る行為を卑下し"甲質"という。 近年,韓国社会を騒がせた"ピーナッツ会港"や"大学教授の弟子セクハラ",そして"軍部隊での暴力"など無数の事件が,すべてこうした"甲質"によるものであった。 甲質は個人や小規模集団との関係にとどまらない。 国家や民族間でも人種間でも数多く行われた。
アメリカ大陸を初めて発見した人はコロンブスだと世界史の本に記録されているが,これはまたどうなのか? 大部分の人は本当にそうだと思うだろう。 米国大陸に数万年前から暮らしてきた原住民は人間ではないということか。 このような歴史記録は西欧中心的歴史認識の典型である。
我々は,このような甲質質の風土の中で,知らず知らずに住んでいたようだ。 このように,有史以来行われてきた甲質による罪悪と,それで末尾癌の葛藤の原因は何だろうか。 上帝さまはその言葉通り,先天の人間史が相剋に支配されたためだろう。 相剋に支配された人間精神は,自分の貪欲を満たすために他人を害することをためらわなかった。
"あの大自然に咲く万物を見よ!" あの万物たちはお互いともに育っていながらもお互いを害しあわない。 野原の名もない草むきも大きいと小さな草を抑えず,小さな草も大きな草を嫉まない。 動物も生存のために仕方なく食ってはいるものの,お腹がいけば,これ以上弱者を食べない。 一方,人間の貪欲は限りがない。 動物も動族は捕食しない。 人間だけが,自分の貪欲のために同族を苦しめながら生きている。 それなら、草一株も禽獣にもできなかった生活を私たちが生きているのかもしれない。
この宇宙空間で一人存在することは何もない。 すべての存在は,周りとの関係の中で自分の生命を保証することができる。 親無しで生まれる生命があるか? 日差しと空気と水なしに生きられる生命があるか。 天地万物は他の存在との関係の中で生命を維持でき,自分の生を享受することができる。 このような宇宙の実存的真理に対する悟りが東洋の世界観だ。 "自分とは違う存在は二つではなく,結局一つ"という認識だ。 しかし,私たちはここで止まってはならない。 より積極的な世界観への一大革命が必要だ。 それはまさに大巡思想の核心である相生である。 相生の実践はまさに新しい世界観への精神開闢である。
相克による諸々の罪悪と葛藤で綴られた人類は,もはや"他人への配慮"という共生の積極的な実践を求めている。 何よりも相克的な甲質を清算しなければならない。 そうすることで,人をうまく導くことが,本当に自分をうまくさせることだという必然的な事実を確信しなければならない。 人間の暮らしの中で甲乙関係は避けられない現実だ。 この現実で,家長,兄,商社,先覚という名で,私たちは甲質をしているのか,徹底的に振り返ってみよう。 そして,その優越的な力を他人をうまくできるようにすることに注がなければならないだろう。 他人をうまくやるようにすることで,ともに自分もうまくいくというこの相生の真理は上帝さまの真理であるからだ。
