最近,ヒーリングに関するテレビ番組が,かなり多い。

多くの人がこうしたヒーリング放送に熱狂する理由は"代理満足"にある。 テレビ画面の中に見られる美しい自然風景と余裕のある演技者の姿に感情移入し,心が安らぐのを感じる。 たとえ,代理満足で満たさなければならないインスタント·ヒーリングだが,直接離れることができない現実のため,適当に妥協してみる。 インスタントな食べ物で空腹を満たすように,インスタント·ヒーリングで心理的安定感を満たして生きていく現代人の自画像が,一見愉快に見えるが,背中におおわれた影は隠す方法がない。

ヒーリングを普通"治癒すること"と言う。 心身が不安な状況を癒し"安心の状態"に戻すこと,すなわち安心の状態を追求することだ。 安心は自らの心から顕在する。 人が安心を感じるためには"目的達成"という自己満足感がなければならないからだ。 旅行に行ってヒーリングを受けるためには直接旅行に出なければならないし,感動でヒーリングを受けるためには感動的な映画や本を読まなければならない。 朝寝坊したり,テレビを視聴したり,大声で歌を歌うなどの簡単な方法でも満足感が得られる。 このような満足感で得られる安心は,他人と共にすることはできるが,代わりにすることはできない。 主体が自分自身であるからだ。安心を得るための自分の課題は,太乙呪に自ら癒すことである。

大巡真理会でも安心を語っている。 社会で言うヒーリングとしての安心は"安らかな心"を追求するという点で大順真理会の安心と共通点を持つ。 しかし,もう少し詳しく見ると,解釈の違いがある。 大巡真理会の安心とは,良心と私心間の葛藤を克服し,良心を保存して心が安らかな状態をいう。 安心するためには"安らかな心"を維持することだけでなく,欲心をよく治めて無欲清浄な暮らしを実践しなければならないのだ。 このような意味で,大巡真理会の安心は,ヒーリングが持つ心身の治癒概念を含んだまま,倫理的人間像を追求するという点で,より理想的だと言える。

多くの人が善を追求する。善という道徳的基準の最も理想的な価値を意味する。 善が満ちている世の中では不正に感情を消耗する必要はない。 お互いを理解し,思いやり,譲歩し,徳を施す状況で自然に互いを癒し,ヒーリングする。 しかし,現代社会の現実はそうではない。 "無限競争"の現代社会の病理的現象が次第に高まり,ヒーリングを求める声も次第に高まっている。 結局,こうした現象も善の不在から始まったのではないかと思う。 この時,大順真理会の安心は,ヒーリングが持つ治癒の意味を超えて,完全な人間像,すなわち,自分の本性を回復した善良な人生を目指すという点で,現代人の傷を癒す有用な処方箋になり得る。

ヒーリングとしての安心は,抱徳天下·光済創生の大義に起因している。 しかし,これを世間の人たちに伝え,イシュー化させるのはまだ容易ではない問題だ。 安心を得るための"ヒーリング"が自分の課題だと先に言及したように,大巡真理会の安心を説くのも,完全に首都人が解決しなければならないためだ。 人が準備するヒーリングの中に太乙呪が溶け込んだ安心の席がもう少し増えることを望む。