タイマッサージでお気楽極楽 その2 | An Healing Handsのたゆたうタイム

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岡山市中心部の城下町、出石町。後楽園のすぐ側にある古民家の地下室で、ヒーリングサロンをしているあやのです。

のんびりと漂うように生きて行く日々の出来事を紹介していきます。

私がお気楽になる方法はこうでした

『諦める』

諦めたり、辞めたり、手放したりして、新しくなる方法

一度リセットするとココロの自由度が上がります

失くしたものは数しれず
そして、何より怖い
明日が見えないって
本当に足が竦むって
まさに、このこと

けど、死にはしません
明日もいつも通り来るしね

むしろ、死んだように生きていくよりは一度リセットした方が、生き生きしていたと思います


これは、私の母から学んだ方法かもしれません

母は昔、三人の娘をどうにか立派な人間にしようと躾には厳しい人でした

そして、娘たちに期待をして色々と習い事をさせました

習字、プール、エレクトーン、体操…みんなあまり続きませんでした

今も、高価なエレクトーンがリビングの隅でホコリをかぶっています

けれど、
母は賢い人でした
潔く諦めたのです
いい子に育てることをやめたのです

そして、三人娘をやりたい放題にさせたのです

そして、
母は自分も楽になりました
(きっとね)

そして、育った娘たちは(いいか悪いか)ご覧の通り!

気にしない、期待しない

タイマッサージにはそんなお気楽さがあります

私は、一回リセットしたからタイマッサージに出会い、受け入れられたのかな~と思っています

少しずつ凝り固まって行くアタマ
「~しなければならない」「~してはいけない」と否定的な固定観念

もう人と競ったり、比べたりはやめようと思った

気にしないってことがタイマッサージではあたりまえの定義(特にタイで受ける場合)

お客様の気持ちよさは、その結果であるという、超利己主義的な利他主義です

これはある種チェンマイ式がもっているチェンマイ人の遊び心

それはいつも人生に微笑みを忘れない心でもあります

ブッダは、この世の苦悩から逃れるために「すべての執着を捨てなさい!」と説きました
しかし、そのブッダでさえこの世の美しさにこだわったのです
それはすべてのこだわりが無くなったときは、この世の卒業を意味するからです
遊び心は、この世にとどまっているための小さなこだわりです

執着を捨てて、遊び心という小さなこだわりをもつだけで誰でもお気楽になれるのだと思います

母は、心配はしていますが、私たちの選択を決して否定しない人です

母の微笑みを絶やさないように私たちは、自由に生きていくのです

そして、
自分のためにも、もっとお気楽にそして、シンプルに生きていきたいものです

そのために私は何度もタイに渡りタイマッサージを学び続けるのかもしれませんね

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@non




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