火曜日に目にした新聞の記事から。


タイトルは

差別に打ち勝つ精神の力。


アメリカで黒人初の国連大使になった、

アンドリュー・ヤング氏。


Q、世界では今、人種差別をはじめ

 さまざまな「分断」が起きています。

 問題の根底にあるものは何でしょうか。


私は相手を知らない「恐れ」だと思います。

それは人と人の「差異」から生まれます。

人は自分と同じグループの人たちに対して

は安心感を抱き、そうでない人たちには

よほどの信頼関係がない限り、不安を

抱くことが多いでしょう。

私には4人の子どもがいますが、一番

下の娘が3歳の時、膝にちょこんと

座ってこんなことを言いました。

「私とパパの肌の色は茶色だけど、

お姉ちゃんとママは少し黄色ね」

幼い娘が、なぜこんな事を気にしたか

分かりません。

一つ言えるのは、差異とは、小さな

子どもでさえ敏感に感じ取るものだと

言う事です。

差別と向き合うとは、人間の差異を

理解し、それを尊重する事です。

それには困難な努力が伴いますが、

実践する最適な場所は家庭なのです。

家族は一番身近な存在ですが、

それ故に対立が生じた時に互いを

深く傷つけます。そうならないため

にも、日頃から相手を敬い考えを

認めあって行く事が重要です。

故に、家庭が社会の分断を乗り越え

る「訓練の場」となるのです。

私は大学で講演する機会がありますが

、最近の学生たちを見て気になる事

は、学生同士が話をしない事です。

私は演壇に立つ時に、「皆さん、

今から隣りの人に自己紹介をしま

しょう。そして握手して下さい」

と呼びかけます。そうする事で

新たな関係が生まれるのです。

私たちは、自分一人では本当の意味

で人間になることはできません。

人間性とは、他者に心を開き、

分ち合うことで磨かれるからです。

私たちは皆、家族や仲間と共に

行きて行く存在であることを忘れ

ないで下さい。


Q、キング牧師と共に人種差別

戦われました。その中で、深く

心に残っているエピソードを

教えて下さい。


1962年、キング氏がジョージア

州オルバニーで投獄され、私は連絡

係になりました。

あれは最初に刑務所を訪れた時の事。

キング氏との面会を申し込むと

白人の巡査部長は顔を上げようとも

せず、「こっちのチビの黒ん坊が、

そっちのデカい黒ん坊に会いたい

そうだ」と声を荒げました。

警棒と拳銃を引っさげた巡査部長は

相撲取りの様な大男でした。

その日は何とか中に入れてもらって

私はキング氏に、巡査部長の事を伝え

ました。すると、キング氏はこう言う

のです。

「これこそ君に課せられた課題だよ。

巡査部長とどんな人間関係を作る

かだ。良い方法を見つけるんだよ」

翌日、私はあることを試みました。

巡査部長の制服の胸にあった彼の

名前を読み上げ、「おはようござい

ます。ハミルトン巡査部長。

ごきげんいかがですか」と挨拶した

のです。

これには巡査部長もびっくりして

あたふたしていました。

さらに彼は体格から予想して、

「フットボールの経験があるので

すか?」と尋ねました。

すると彼は、ニコッと笑みを浮かべ

そこから彼の出身校や、同郷の

フットボール選手の話題で会話が

弾み、その後も語り合う中で、私

たちは友人の様になる事ができた

のです。

それから20年ほど後、国連大使

としてある街で演説した時のこと

です。

その巡査部長がわざわざ訪ねて来て

くれたのです。

緑のジャケットに白いパンツ姿の

彼は、威圧感もなく、爽やかで

全く別人でした。彼は私に言いました。

「もしあなたたちがオルバニーの

刑務所で私と向かいあってくれなか

ったら、今も、かつてのような

価値観で行きていたでしょう。だから

今日はお礼がしたいのです。」


Q、キング氏のアドバイスによって

、人種や立場の違いを超えて、人間

として友情を結ばれたのですね。

ヤング元大使にとって、アメリカ

公民権運動の「非暴力」を支えた

哲学とは、どんなものですか。


マハトマ・ガンジーの言葉を借りれ

ば、非暴力は「魂の力」です。

人間は単に肉体的な存在ではなく、

精神的な存在です。

思えば、私自身、多様な価値観の

中で育ちました。故郷のニュー

オーリンズでは近所の子どもの大半

は白人でしたが、学校では全生徒が

黒人でした。私は中産階級で、他の

生徒の多くは貧しい家庭でした。

住民のほとんどがカトリック系だ

ったのに対し、我が家はプロテス

タントでした。私は常に、人種、

経済、宗教の違いなど、他者を排除

する壁を乗り越える必要があったの

です。歯科医だった父からは、いつ

も「感情的になってはいけ

ない。賢明になりなさい」

精神の力こそお前が生まれ持った

最も強い武器だよ」と教わりました。

怒りに身を任せると人間

の思考は麻痺します。人間は、

知恵と精神の力で、どんな困難も乗り

超えることができるのです。私は現在

89歳ですが、「賢くあれ」との

父の言葉を今も大切にしています。


Q、政界に進出した後も、一貫して

率直にな対話を実践してこられました

ね。


私はカーター政権下で国連大使の任命

を受け、77年に南アフリカを訪問

したことがあります。

この国では、アパルトヘイト

<人種隔離政策> によって、黒人が抑圧

され、尊厳を踏みにじらてきました。

現地で、何人もの黒人指導者と会い

ましたが、白人の政治家たちとは話す

機会がありませんでした。

そこで私は、「政府の中で1番の差別

主義者は誰ですか?」と聞いてみたの

です。私はその人こそ会うべきだと

思い、会う約束をしました。

家に着くと、彼は一言のあいさつも

なく、責め立てる様に、質問をぶつ

けてきました。

「あと、どれくらいで大量殺戮

起きると思うかね」

殺戮?そんな事が起きるわけが

ないでしょう。」

「どうしてそんな事がいえるのだ❗️

この国の黒人は必ず暴動を起こし、

我々白人全員を殺すに違いない‼️」

と。彼の心の奥底にあるものを見た

瞬間でした。黒人に対する「恐怖

が産んだ「憎悪」でした。

私は粘り強く語り、アメリカ

では白人と黒人が共に生きようと

努力してきた前例があること、さら

に、南アフリカの民主化が平和裏に

進むように応援したいとのアメリカ

政府の意向を伝えました。そして

アメリカ大統領の電話番号を伝え、

彼の家を後にしたのです。

やがて、彼とアメリカ副大統領の


会見が実現し、

ネルソン・マンデラ氏の

出獄、民主化へと流れができて

行ったのです。

人の心とは繊細なもので、ともすると

心のバリアを作り、閉してしまいます。

ですから、私は多くの人に自分から

話しかける努力を続けてきました。

必要なのは、「スマイル」と「ハロー

です。この実戦からコミュニティ

建設は始まるのです。


ここまで、長文になりましたが、

昨日見たテレビの中で、若者が

我らはZ世代、スマホ一つで

世界とつながり、困っている人が

いたら、みんなで助け合う事が

できる、と言っていました。

ビルゲイツ氏のアフリカや

アジアなどの途上国での取り組みも

紹介されていて、とても感銘を受け

ました。

もうけたお金を社会貢献に使うと

は何と素晴らしい取り組みでしょう。


今の若者はとは思いません。私も

スマホでブログを始めてから、

多くの人と知り合い、自分の活動

を応援していただける事に感謝し

ています。見ず知らずの人と繋がっ

ていることが、どれほど生きる

支えになっていることか。

個人での猫の活動は地味で孤独な

活動で、普通は自費を投じ、何で

ここまでやらなきゃいけないのか

、行政に不満も出て、グチだらけ

の毎日だったと思いますが、今は

淡々と依頼のあった現場のTNRを

やりこなしています。仲間も増え

心強いです。


明日からは更にヤング氏の言葉を心に

刻み、賢明な行動していきたいと

思います。


賢明に生きる人にgood luck

ついて来ると信じています。