昨日は春分の日でしたね。
バタバタとした1日でしたが、
長女が町田駅に買い物に行くと
言うので、東急ツインズの中に
入っている、サザエと言うお店
でおはぎを買って来て!と
お願いしました。
夜いただきましたが、
やっぱり、サザエの十勝おはぎ
は最高です!
半殺しのうるち米に絶妙な甘さの
小豆!
ここに勝る物は今のところ
ありません。
夫が春分の日はぼたもち
秋分の日がおはぎだと教えて
くれました。
ぼたんの花が小豆を散らした
様だから、ぼたんもちすなわち、
ぼたもち
秋の七草の萩の花が咲く時期が
おはぎ。
ついでに夏は夜船、冬は北窓と
も呼ばれるそうです。
古来より赤い色は邪気を払う色。
小豆は五穀豊穣の米と一緒に
神様に奉納され、小豆は米と
一緒に炊いて赤飯にもされ
お祝い事にされますね。
農作業が始まる春に豊作を祈り、
先祖の霊を慰め、秋には収穫に
感謝すると言う意味があるそうです。
春先に田んぼに毎日出て行く
父の姿が忘れられません。
シベリア帰りなので、足の指が
凍傷で何本も欠損していましたが
マラソン大会にも出たり農作業
には支障ない様に見えましたが、
本当はどうだったかわかりません。
長女が学校の宿題で戦争の事を
調べる事があったので
「じいちゃんに聞いてみたら?」
と言い、初めて抑留中の事を
話してくれました。
マイナス35度位までは外での
作業があり、それ以下だと
中止だったそうです。
食べ物は味のないスープと
黒パン。早食いが身につけて
しまい、いつも食事の時は
早食いのくせが抜けず、
むせて手を高く上げて
胸をとんとん叩いていた姿が
忘れらません。
口をきかず反抗まではしなかった
ですが、早く実家を出たくて、
東京、神奈川の大学を5ケも
受験しました。
勉強は雪が多くて通学できない
ので冬は下宿で、こたつに布団
をかけて問題集をひたすら
やりました。
眠い💤 ちょっと休憩、、
やばい! また30分もすれば
眠い💤やばい❗️ 4時だ!寝る‼️
こんな繰り返しでしたが、
塾も行かずに
法政大学には入学できました。
大学では全くまとまに勉強して
ないので、よく夢で単位を
落とす夢を見ましたね💦
話は飛びましたが、母が亡くなり、
一年後に父に後妻が来て、私が
口をきかない時期も怒らず、
耐えていたと思います。
きっと早くに母を亡くし不憫に
思っていたんでしょうね。
その父はC型肝炎にどこで
感染したかもわからず、
76歳で肝臓がんを発症。
月に一回は夜行バスで金曜の
夜に出て、日曜の夜に帰る
パターンを繰り返し、
入院している父の元にいて
あげました。
春分の日に家族5人で父を見舞い、
子どもたちが飽きてしまうので
2時間位近くの牧場に行って
帰ったら、父が便まみれに
なっていて、どうしていいか
わからないと茫然としていました。
ナースコールの押し方もわから
なくなってしまっていました。
肝性脳症になると異常行動を
起こしてしまうんですね。
そんな時、ナースの方たちは
優しく対応して下さいましたね。
ありがたい存在でした。
いったん東京に帰り、もう
死に目には会えないと覚悟を
決めていましたが
4月3日に危篤で呼ばれ次女の
小学校入学でしたが、
夫にお願いしました。
次女には寂しい思いをさせて
しまいました。
父は意識はないと思われましたが、
けいれんが続き、ベッド上で
身体が跳ね上がってしまい
、苦しかったと思います。
4日の夜が明け5日になり、
私が枕元で手を握り、
「父さん、今までありがとう。
今日は私の誕生日だよ。
もう頑張らなくていいよ。」
と声をかけたら心電図が途切れた
様で、看護師さんが飛んで来ました。
私の誕生日と同じ日が父の命日に
なり、忘れられない日になりました。
おはぎやぼたもちと言えば
思い出す事でした。
自分を産んでくれた父や母、
そしてその祖先に感謝して
生きて行きたいですね。
人間に産まれられる確率は
世界中の土や砂の数でも
親指に乗る土の数しか
可能性がないそうです。
親指の上に土を乗せてみて下さい。
ほとんどは落ちてしまいます。
そんな貴重な人間の命を授かった
私たちです。
大切に大切に
生きていきたいですね。