急に思い出したが、以前読んだ
手塚治虫のブッダの中のある説話。
子どもを亡くした母親キサー・ゴータミー
は、気が狂った様に、この子を生き返ら
せる術を教えてくれと、町中子どもの
亡骸を抱いたまま、歩き回っていた。
彼女はすがる思いで、ブッダ(お釈迦様)
の所にやって来て、
「この子を何とか生き返らせて下さい!」
と懇願した。
ブッダは言った。
「この町の一軒一軒を訪ね歩き、1人も
死人の出した事のない家から、ケシの実
をもらって来なさい。その実が子どもの命
を助ける薬だ。」と。
母親は、わらにもすがる思いで、一軒一軒
訪ね歩くと、
「昨年、親を亡くした」
「昨日、子を亡くした」など
1人も死人を出した事のない家など
なく、話を聴いて歩いているうちに
平常心を取り戻していったとの事。
ブッダの元に帰って来た母親に
「子どもが生きているのであれば
生きている子どもを愛し、死んで
しまったのなら、死んだ子どもを
愛しなさい」と諭したとの事。
その後、この母親はブッダに帰依
します。
人の命は朝見る葉っぱの上にある露
のごとく、いつかは露のごとく
消えてしまうのに、さまざまな物に
執着し、無くなる事を惜しんでいるとも。
人の命、森羅万象は全て移り変わり、
「諸行無常」と悟るが、菩提樹の下で
更に1つの法を見いだし、その教えを
仏教として広めていったのだ。
ブッダが生きていた頃は、文字で
書かれた物はなかったが、死後、
弟子たちがブッダが教えた事を
事細かく書きだしたのだが、その
記憶力たるやすごいものがあるね。
今は亡きある女性が話していた事が
ある。
自分が亡くなる時、夕日が沈む様に
「私の人生、勝ちました。そして
又、新しい命で生まれ変わって
来ます」と言って死にたいと
言っていたけど、風の便りにがんで
亡くなられたと聞き、きっと、その方
はそんな気持ちで逝かれたんだろうな
と思い、はたして自分はどうだろうか?
とまだ見ぬ世界を少しは想像したりした。
私の父はシベリアで抑留され、生きて
帰っては来たが、亡くなられた方は
何万人もいらっしゃる。
アウシュビッツで亡くなった数百万の方たち。
ISの犠牲になられた方たち。
原爆や沖縄戦、太平洋の島々で亡くなった
方たち。
阪神淡路大震災、東日本大震災、災害や人災
で亡くなった方たちを思って、自分の
寿命は後30年以上はあるとして
(勝手に決めてる🤪 いつまで生きる気?)
その方たちの無念を思うと、あまりにも
幸せな自分の人生と思うと死に対する
恐怖も和らぐのかとも思う。
自分もいつか行く道。
誰もが行く道。
面白、おかしく生きるのもいいけれど
財産ため込むのもいいけれど、
人を蹴落とすのもいいけれど(それはあかん)
やっぱり、何か人のためになる事
(私は猫のためだけど)
社会貢献していきましょうよ❣️