1967年から1970年の間で
北九州市内
* 女の車掌さんが乗っていた頃
私が高校へ通学でバスを利用していた時
1967年から1969年にかけて西鉄バスはまだワンマンではなかった
私の乗っている路線では女の車掌さんがいた 他の路線でもいたかもしれない
日替わりで乗っている女性は替わっていた
さて、今日はどんな「べっぴんさん」が乗っているかな、という朝の楽しみもあった
「次は○○です、お降りのお客様はいませんか?」といつも優しい声で案内していた
朝からその若い女性の和かい声を聞くと癒されていたと思う
男子しかいない工業高校の生徒である私にとって女の車掌さんは
「掃き溜めに鶴」みたいな有難い存在だった(^^♪
ある時、いつもと違う名称でバス停を告げた
すると、すぐ傍に立っていた同じ高校に通う男子高校生が「あれっ、名前変わったの?」と
その女の車掌さんに話しかけていた
いつか、話しかけてやろうとその男は狙っていたんだろうな
堂々と大人の若い女性に声を掛けれるなんて事は日々の高校生活ではなかなか無い
まさに、満を持して、話しかけたんですな
もし、私が傍に立っていたら同じ様に声を掛けれていた という自信はないな
バス停の名前が変わるなんて事は、その男にとってホントは興味の欠片も無かったはず
私は、事前に名称変更を知っていたのでそんな声掛けをしているその男がなんとなく、羨ましかったね
しばらくして、バスはワンマン運転となった
まだその当時女性の運転手さんはいなかったので味気ない通学時間となってしまった(>_<)
お客さんにとっては楽しみが一つなくなってしまう省力化は面白くないけど、しょうがない
技術は進歩していくんです(^^♪
というか、人件費を抑える為に会社としてワンマン運転した方が良い
運転手にとっては負担は増えると思うけど