こんばんは。野々山です。
このところ更新頻度が低く、また皆様のブログにも訪問できず申し訳ありませんでした。
ちょっと立て込んでおりましたが、ようやく目途が立ちましたので、久々にブログを書いております。
実は私、転職することになりました。
50代になって、こんな事になるとは夢にも思いませんでしたが、人生何があるか分からないですね。
私は大学院(修士)を卒業後、某大手メーカーにエンジニア(?) 研究開発職(?) として就職しました。
仕事は面白く、労働環境も良く、経費も比較的潤沢に使え、給与水準も高く、福利厚生も充実した優良会社だったので、毎日楽しく働いておりました。
ところが、30歳の時に最悪の上司に付いてしまったのです
よくある話ですが、部下の手柄は自分の功績、自分の失敗は部下の責任。
自分はチームの経費で、私物なのか仕事に使うのか分からない物を買い放題。
部下はノート1冊、バインダー1冊買うのも自腹。
特に私は目を付けられてしまい、仕事は邪魔されるわ、ミスは押し付けられるわ、有ること無いこと言いふらされるわと、酷い目に遭いました。
そしてついに、責任(身に覚えが無い)を取らされる形で、35歳にして関連子会社に放出されたのです。
完全なる片道切符で、籍は子会社、給料も子会社の規定が適用されました(年収にして 35%減)。
子会社が悪い訳じゃないけど、子会社の社名が入った名刺を渡された時は悔しかったなぁ・・・
それから 20年近く経ち、昨年の 11月に元上司が定年退職しました。
すると、本体(元居た会社)で私の3期先輩にあたる方(平の取締役に出世されている)が、私を本体に戻そうと役員会で提案してくださったのです。
幸いなことに、私の子会社での仕事は順調で(たまに仕事中に株価を見てるけど )、その評価は本体にも伝わっていました。
さらに役員の中に、元上司を快く思わない人が沢山おられたこともあって、トントン拍子に話が進みました。
そして先日、移籍の打診を受けました。
月曜日から今日までの出張は、オミクロン渦巻く東京の本体に行って来たという訳です。
現在私が勤めている子会社には、本体の社長(専務かも?)から直接話をしてくださり、合意に至りました。
子会社の業務には私が引き続き関わることになりましたので、進行中のプロジェクトは滞りなく進みますし、子会社としても本体とのパイプが強化されるので助かると。
都合の良い解釈かもしれませんが、Win-Win の関係が築けたのかな
しかも、本体に戻れるだけでなく、かなり良いポストに就けていただけるとの事。
私が本体所属のままで頑張ったとしても、就けたかどうか分からないポストです。
なんか分かりにくいので書いてしまうと、部長職です。
子会社で部長を拝命しているので、降格させるわけにはいかないと、先輩が押し通してくださったようです。
子会社の部長なんて、本体の基準だと課長か課長代理ぐらいですが・・・
本体の同期や先輩にも、まだ部長職に就けていない人がたくさん居るのに、一旦放り出された私が彼らを飛び越しちゃうのです。
なんか申し訳ない気もするし、やっかみも怖いにゃ~
仕事を頑張って認めてもらうしかないでしょうね。
今回の本体訪問では、当然ながら恩人の先輩にも会って来ました。
このご時世なので一杯飲み行く訳にもいかず、先輩の役員室でアクリルボード越しの対面でしたけどね。
先輩は当時、元上司の私に対する仕打ちに憤りを覚えておられたのですが、私達とはチームが違いましたし、元上司の方が歳も役職も上なので何もできなかったと。
『申し訳なかった』と謝罪され、思わず涙が零れてしまいました。
まさか会社で泣くとは思わなかった・・・
これまで、私は自分を『ツイていない』人間だと思っていました。
しかし、こんな素晴らしい先輩と出会え、その方に 20年近くも気にかけていただき、そして何だかんだ有ったものの最終的には大好きな会社に戻れることなどを考えると、メチャクチャ『ツイてる』人間だと思います
今の会社での残務整理もあるし、コロナ禍の状況が良くないため、現時点では移籍や引っ越しの時期は未定です。
しかし、遅くとも今年の夏には東京に帰れるでしょう
妻は仕事を辞めることになりますが、私の移籍に同意してくれました。
今まで積み上げたキャリアを捨てさせることになり、本当に申し訳ないと思いますが、その思いも背負いながら新しい仕事に全力で臨みたいと思います。
本体を辞めた日の事は、今でも心の傷として残っています。
一昨日、20年ぶりに本社ビルに入る時は動悸がしました。
当時は、何で自分がこんな目に遭わなきゃいけないのか、納得がいきませんでした。
忌々しいことに当の元上司は、その後順調に出世し、その情報が入る度に私の心の中にドス黒い感情が渦巻きました。
何度も何度も、元上司を〇してやろうと思いました。
元上司を刃物で〇したり、金槌で〇る夢もたくさん見ました。
〇し屋の情報を、実際にネットで検索したこともあります
そんな壊れそうな自分を抑えながら、今日まで必死で頑張ってきました。
その努力が、ようやく報われた気がします。
努力すれば必ず報われる訳ではありません。
しかしながら、努力しなければ決して報われることはありません。
私は今日まで努力してきて良かったと、心から思います。
そして私は、定年を迎えるその日まで、これからも努力し続けようと思います。
1月中旬から今日まで、本当に株価どころじゃありませんでした。
ブログが滞りがちで申し訳ありません。
一応落ち着きましたので、またブログを再開しようと思います。
もちろん転職後も株式投資は続けていきます。
今後とも、この、何の参考にもならないブログを宜しくお願い申し上げます。
それでは