どうも、うふのわーるです。
猛暑が続いているが
毎年体験していることであるはずなのに
その年ごとの熱気には何か
その年特有の重みを孕んでいるような気がしてならない。
人間も暑がれば
当然、猫も暑い(はずだ)。
我が家のニャン子は完全室内飼いで
ほぼ外出しない生活スタイルを
自分の運命と感じて、長いこと経つようにみえるが
夏場はもっぱら玄関マットが定位置になっている。
他期に比べ明らかに運動量や消費エネルギー量が減るのが
この時期の恒例になっているが
半分溶けたようになっている猫をみていると
その行為に対し「やりすごす」という確固とした
選択の跡がじんわりと伝わってくる気がする。
うん、そう。
それは確な決意のようなものなのである。
そこまでのアカラサマな潔さを見せつけられると
人間ももう少し「やりすごす」という感覚に対し
重きを置いても良いのではないかと
さほど真剣にでもなく考察したりするのであるが
これが、自分のことを思い返してみると
なかなか「やりすごせていない」ことが多いことに気がつく。
んー。
そう考えると、何か重要で
とても抗いがたい業のようなものであるような気もして
眠そうな猫にちょっかいを出したくなってくるから
どうしようもない。