ぼくは競馬が好きでした。

1993か1994年くらいに、見始めました。
きっかけはKOEIのウイニングポストとかダビスタをやるようになって
にわかなりにそれなりに知識をつけてから、って感じだったんですが
確かちゃんと見始めた年にナリタブライアンが3冠馬になって。
前年はビワハヤヒデがいて、兄弟対決!とか騒がれていて。

馬券は買わない(というか買えない)けど競馬新聞片手に
毎週毎週土曜日曜は競馬見てました。昔の世代も追うようになりました。
シンザン、コダマなんていうはるか昔の超名馬や、トウショウボーイ、
テンポイント、グリーングラスのTTG世代、シンボリルドルフ、カツラギエース、
ミスターシービー、ギャロップダイナであっと驚きシービークロスと
息子タマモクロスの強烈な末脚、オグリキャップの感動的なラストラン、
トウカイテイオー奇跡の復活なんかを後追いで。

その中でも一番魅了されたのはサイレンススズカでしたー。
ハイペースで逃げて、最後の直線で二の脚を使って圧倒的な強さで
逃げ切るスタイルに物凄く惹かれて。

でも、死角なしと言われた天皇賞秋のレース中に予後不良。
サラブレッドは足の怪我が酷いと生きてはいけないので薬殺処分に
なるんです。もう大ショックで、それから競馬を見なくなりました。

今でもあのシーンというのは物凄くトラウマで、競馬を見るのが
楽しくなくなってしまって。子供ながらに、思うようにならない世の中や
理不尽な結果に目を瞑るしかなかったのかなーと。

ダイワスカーレットやウォッカ、テイエムオペラオー、ディープインパクト
のような名馬は続々誕生してたけど心をひかれたり、過去のトラウマを克服する
には至らず。

でもオルフェーヴルという3冠馬の存在を4月くらいに知ってからは
競馬をちゃんとみれるようになってきたのは不思議なもんで。
彼の阪神大賞典の滅茶苦茶なレース(人為的にそうなったという見方もありますけど)
でオルフェーヴルが2着に入ってしまう、というのがあったからでしょうね。
1着じゃきっと心惹かれなかったんだろうなあ、というのは
なぜかよくわからないけど、そういう確信はあります。
そんなところに魅力を感じてしまう。そんな彼に感謝です。
また人生が豊かになることに。(馬券を買うことはないですけど)

またゆっくりスズカが強烈なまでの強さを発揮した
毎日王冠を見てみようかなあと思いました。はい。

最近はゲーマーです。

ペルソナ4のアニメと同時並行でPS2のペルソナ4を進めてやると思い、
いつの間にかアニメに夢中になってゲームをやるのを忘れて。
今更ながら途中まで進めたのを引っ張りだしてやっています。

しかしゲーム!ああゲーム!

これをやってしまうと他が一切何も手に付かない!
同時並行で作業を進めると、片方が終わらないと気になって
夜も眠らない性質でして。

高校生の頃FF7を買った時、学校を数日休んでまでやって
学校行ったらエアリスが死ぬのを知らない皆。皆冗談かと
思って相手にされなかったんですが数日後本当に死んでしまうことが
皆わかってですね、

「すげー!」と騒がれたのも一瞬、そのうち「学校休んでやることじゃ」
「終わってるよね」「廃人」「人としてどうかと」などの
罵声を与えられてしまいました。真似はしないでください。

まあ昔のよもやま話はどうでもよく、後少しでクリアです。
もうトゥルーエンドのラスボス目の前!

しかしまあ、ペルソナ4は目黒さんが書いた楽曲が珠玉。
ほんとうにいい曲が多いです。曇の日に流れる「heartbeat heartache」は
珠玉。曇り空に出かける際は必ず聞きます。ゲームをやってるのはBGMの
研究でもあるんです(無理やり過ぎますがw)

そんな訳で一週間くらいギターを弾いてなかったので
朝っぱらからギターを手に取り、ペルソナの楽曲コピーして指慣らし。
Reach out to the truth、かっこいいー!
ことわざとか教訓っていうのは奥深いなと。

例えば「勝って兜の緒を締めよ」という言葉があります。
まあ成功したり、勝ったりしたら油断するなよって当然の意味で
当り前すぎるほど当り前なんですが。

でもどんなに理解していても緩むんですよね。
人間ですから。ことわざとか教訓は趣味で作られてるわけじゃないですね。
伊達じゃないです。

人間の持つ時間は有限で限りがあります。
その時間の中でいろんなことに興味を持ちます。
沢山のびっくり箱が目の前にあって。ひとつ開けてみて漁ってみる。
その箱を一生漁り続ける人もいればほどほどにして別なものを漁る人も
いる。でも、絶対にすべてのびっくり箱を開けられない。
こんなことわざはないんですが「時は命なり」ですね。
そして時=命を使って生きるためのお金を稼ぐ。「時は金なり」ですね。

人生75年とすると単純計算で657000時間(うるう年の計算ははぶいてますが)
くらいですか。着々と死に向かって進行する中でその貴重な時間を使って
沢山の人が「仕事」をしています。生きるために大事な「仕事」を。
(学生さんは「学業」ですね。)
もちろんそればかり出来るほど人間は強くないから息を抜いたりするのも必要。
ある人は運動したり、音楽聞いたり、絵を描いたりetc・・・

僕は会ったことがない色んな方に聴いてもらいたい、と思ったりして
曲を作っていますがそれだけじゃ(自分の)意識は薄いなーと上述したことわざを
考えながら思います。色んな人がたまたまにせよネットの海をたどり着いて、
貴重な時間を使って自分の曲を聴いてくれたりしている。時間を消費をして
音楽を聞いている、と思うと現状持ってるものは最大限使って
努力して120%のものを作らないとなあと改めて思うわけです。
それでも評価されるかどうかというのは別問題で、創作にせよなんにせよ
どの世界もそういった厳しさはありますが。
まあでも自己内省をすることで気持ちは取り戻せたんじゃないかなあ。
ことわざさまさまです。

こういう気持ちは暫くは持続しますが、慣れてくるとまた忘れてきます。
そして忘れてだいぶ経過した頃にことわざを見返して同じ事を考えて
また「兜の緒を締め」るんだろうなあ。

熱い気持ちを忘れてもいいから、節目節目に思い出せるといいなあと。