私は統合失調症の悪い面を全面に押し出せばこのまま生活保護で生きていける。
他の人も、おそらく無理強いはしてこない。
それは確かに楽で良いことなのだが情けなく思う。
私に残された良い部分とは人との距離感に気を使って空気を読もうとするところだと思う。
ひどく神経が疲れるので人とは関わりたくないのだがその残った良い部分で勝負していくしかないのではないかと思っている。
でも、世の中には空気も読めず距離感も分からず突然詰め寄ってくる人がいる。
そうした人を私は受け入れることができない。
今回の入院で分かった。
私の目標は一人生活保護で暮らしていくことだと以前書いたが人々は生活保護を頼らなくても将来的には障碍者雇用なりで働いて一人暮らしできるのではないかと言う。
障害年金のもらえない私からすれば生活保護も障碍者雇用もさして使えるお金の量は変わらない。
だったら、生活保護で良いと考えてしまっている。
病人にとっては医療費が無料というのが大きすぎる。
生活保護を受けつつ、打ち切られない範囲で働くというなら理にかなっている。
でもそれではB型作業所からは抜け出せない。
もう一度自立できるだろうかと私は考える。
現状では気分の波が激しすぎて無理である。
そこが、病気に甘えているところだ。
みんな波はあっても平常を装って働いているのに私は病気を理由に逃げている。
もう一度根気を出して働くタイミングはいつだろうか。
とりあえず陰性症状が治まって集中力がついてからと思っているのだがその考えも既に甘えている。
たとえ病状があっても、働くときには働く。それが一般常識。
なら私は逃げようと思う。
精神病は客観すると一見健常者に見えても当事者からしたらとんでもない疲弊を味わっているのである。
そこから病状が悪化して最悪再発してまたマイナスからやり直しになる。
そんなことになるくらいなら私は逃げる。
いくら甘えていると言われようが現実に私は健常者ではない。
健常者のものさしでは測れないところにいる。
それを理解してもらうことは不可能だが察してもらいたいと思う。
私は健常者のようには生きられない。その代償も払った。
だから、せめて私自身がもう一度社会に出るその意義を見つけるまでは放っておいてほしいと思う。
私だって叶うならばもう一度人の輪に入って楽しく笑いあいたいし、仕事に精を出していた頃に戻りたいのだ。
でもそれが叶わず毎日一人耐え難い退屈の中時間が過ぎていくのをただひたすらに待つだけの日々を送っている。
健常者は気楽に人と交わって見ればいいじゃんというがそれができないのである。
他愛もない話というものができなくなった。
笑うこともなくなった。
人付き合いというものがよく分からなくなってしまった。
社会復帰を目指すならばこのままではいけないことは当に分かっている。
でも陰性症状が落ち着き、症状が緩和されて寛解期に入ってから動き出したいのだ。
自分が今がベストだという状況で、動き出したい。
それがいつになるのか分からずこのまま何年も経ってしまうようなことがあれば絶望だ。
もう私は三十路である。健常者だった頃は30になったら結婚でもして働いてたまに遊んで飲んで暮らしているだろうと思っていたが現実は大きく変わった。
なぜ働けなくなったかと言えば再発の繰り返しで能力が単純に落ちたからである。
リハビリで一番簡単なプラモデル一つ自力では作ることもできず自信喪失した。
人々がさも当然の当たり前にこなしていることができないのがコンプレックスになっている。
簡単な気遣いによる挨拶から何から人との付き合い方というものができなくなってしまった。
それを慣らすためにもデイケアへと言われデイケアへは2回足を運んだが一人黙々と過ごすだけでより孤独を感じるハメになった。
三十路のゼロ歳児である。
恥ずかしいったらない。
でもまた一からやり直していく根気を持たないといけないなあと思っている。
健常者が普通にこなしていることができないことがコンプレックスなのだがそれができない自分を受け入れなくてはならない。
かつてできていたことが老化によってできなくなるならば大衆は納得するが精神病によってできなくなったと言うとみなできるよと言う。
できないんです。本当に。
でも、やらないといけないと思う。
その最初の一歩をどこに踏み出すのか。
酷く億劫である。