統合失調症との共同生活 -25ページ目

自分が病気であることを忘れて生きると健常者に対する劣等感も感じないし日頃できないことがあっても特に気にもしない。

何より大切なことは自分ならできるという勇気がわいてくることだ。

病気を前面に押し出してしまうと病気だからダメなんだ、病気のせいでできないんだ・・・。とネガティブな感情がわいてくる。

 

現に私は統合失調症を発症して退院してからその時の主治医とも話し合い通院無しでやっていくことにした。

自分は病気ではない、他人より霊感や悟りに近い存在になったのだと本気で思い、信じていた。

だから劣等感も自信の無さもなく健常者に混じって仕事ができた。

 

それでも、再発してしまって自分は病気であることを自覚し、自信喪失した。

もう健常者に混じっては働けない、今後も精神障碍者として劣った者として生きていくしかないという現実が私から希望を奪った。

 

でも、自分が病気であることを忘れる努力をして、病気のせいにしない生き方を目指そうと思う。

薬は服薬しつつ、それでも自分は健常者と変わらないという思いを持たないと今後やっていけない。

 

などと書いてみたが現実難しい。私はまぎれもなく精神障碍者である。

健常者が普通にやっていることをサポートなしではこなせない。

 

なぜこんなになってしまったかと言えば憎きドラッグのせいである。

憎むべき存在は多くあるがドラッグにさえ手を出さなければ健常者としての生活が待っていたはずだ。

 

私も早く寛解して一般社会に混じりたい。

他愛もない話しで笑えるくらいの興味関心を取り戻したい。

 

いつになるやら

安楽死に憧れている日本人はネット上を見る限りかなり多い。

私も、憧れていた。30年生きてきて何度死にたいと思ったか分からない程の人生を歩んできた。

 

でもいざ、安楽死できますよ。となってもまだしないと思う。

したいと思うのは再入院が決まったときかこの生活に耐えられなくなった時だろう。

 

考えるまでもなく日本で安楽死が認められることはないだろう。

大量の人が死ぬのが目に見える。

労働力を失ってしまうのが国は怖いから認めないだろう。

 

自殺大国日本。せめて最後くらいは安楽に死なせてあげてほしいと思うものだし、いざ安楽死できるとなるとまだやろうという気にもなる人もいるだろう。

 

人は遅かれ早かれ死ぬのだ。なぜ寿命まで生きて延命治療を受け苦しんで苦しんで死んでいかなければならないのか。

そんな死に方をするくらいなら若くて健康で日常生活が送れる内に死にたいと思ってしまう。

 

私の人生は事故や事件にでも合わない限りあと30年は続くだろう。やっと半分まできた。

長かった。病気になってからの10年は20年分くらいの長さだった。

 

自殺はしないのかという話になるが現状しないと思う。

病院側が無理に働かせることを強要したり再入院の話を持ち出したら考えるくらいだ。

 

人は退屈で暇で時間が長くて全てが億劫だという理由では中々死なないものなのだと思う。

ただただ、耐えるのみである。

 

そんな人生に価値はあるのかという話になるが、そもそも命というものは欲望から生まれてくるだけのものであり価値などない。

ただ、世界が平和で貧困もなくみなが家族のような夢の世界であったならば私は生きることに積極的になるだろう。

最近私がよく見る夢の世界の話である。

 

人は死後どうなるか気になる生き物だ。私は死後、行くべき場所に人の魂は行くと思っている。

その場所は本人が自覚している。

 

私は無を望んでいる。来世はどこからかわいてくる埃のような存在でもいい。

とにもかくにも命を持つということにはこりごりしている。

 

実は私は16歳の頃に彼女を妊娠させてしまったことがある。

あえなくその子は流産してしまったのだが、命、知性を持つ前にこの世に生まれてこなくて良かったと思っている。

この世に生まれたら苦しみばかりだからである。

 

この世を素晴らしいものだと思う者は勝手に子を生み繁殖する。

かつての私もこの世が楽しくて仕方がなかった。けれど一度病に臥せってしまえば終わりである。

この世に生まれたらどんな病気、事故、犯罪にあうか分からない。

そんな恐怖と毎日向き合いながら働きに出なくてはならないのだ。

 

やりたくもない仕事をして生活を維持するためにそれを続けて一体何の楽しみ、喜びがあるというのか。

人生を楽しんでいた頃に戻りたい。

それには仲間が必要だ。ただ、社交性がもうない。

 

病気になって10年、暗い記事しか書けなくなってしまった。

医学的には脳の誤作動、本人的にはトラウマや虐待やいじめなどによるものだと思う。

私の場合も殺されかけたトラウマや幼い頃からの虐待などによるものから今の自分があると思っている。

 

医学が絶対的なものであるならば薬さえ飲めば万事解決するがそうはいかない。

薬をいくら飲もうが治らないものは治らないのである。

 

この受けたトラウマを払拭するためには逃げずに立ち向かうことだと元主治医は言ったがその勇気が出てこない程に強烈なものである。

精神病者に精神論をいくら投げかけても無駄である。

脳がもはや自己防衛に走り何も行動を起こせない程のショックを受けているからだ。

 

だから薬を飲ませるがこの薬は劇薬で無意味に近いものである。

副作用で何の興味も関心も意欲もなくなってしまったり、私の場合はまだ出ていないが体が震えたり、筋肉がこわばって勝手に動いたりすることもある。

他にもジッとしていられなくなったり食事が喉を通らなかったりと副作用がかなり多い。

 

私の場合はただ統合失調症と病名だけつけられその薬を飲まされているが統合失調症以前にメンタルがやられている。

それに効くとされる薬の名は効いたことがない。抗不安薬なども頓服で使う分には良いが常用には適していないらしい。

入院中にこの抗不安薬を何度か使ったが効いている実感などなかった。

 

今飲んでいる統合失調症の薬も効いている実感はない。

飲んでいるとドーパミンが抑えられて何もする気にならずただただ退屈で時間を持て余すのみである。

 

精神科医はさも絶対的なものであるように薬を強調してくるが私にとっては薬など効いている実感もなく副作用ばかりが目立つ。

重度の鬱病患者の脳に電極を埋め込み、電気を流すと鬱が改善し、喜びを取り戻したという記事を読んだ。

やはり脳が重要なのだと思っている。

 

その脳に作用する薬を多量に処方されているが改善は見られない。

かつての交遊的な自分を取り戻せない。

 

電極を埋め込めばかつてのように人と楽しく笑いあえるのだろうか。

でも電気を流していない間は効果がないのだろうか。

 

昔行われていたロボトミーというおそろしい手術を思い出す。

その時代に生まれてなくて良かったと思えるくらいには私は健常である。

 

統合失調症はドーパミンを抑えるだけではその患者が陰性症状に悩まされて生涯を終えることになる。

だからエビリファイやレキサルティなどのドーパミンが不足している場合分泌を促す薬なども開発されているが私の場合レキサルティを2mg飲んでいても改善しない。

 

リスペリドンを飲んでいるためだろう。

電極を入れるくらいの人は鬱病の薬が効かなかったということなのだろうがやはり薬では限界があるのだと思う。

脳に作用すると謳っている割に大した効き目もないじゃないかと思う。

 

もう少し電極を埋める治験者が増えてきて手術の安全性も立証できてきたら埋めて一人部屋で電気を流し喜びを味わおうかとも思ったがそれではドラッグにハマっていた頃と似たようなものである。

私は社交性を取り戻したい。

 

そのために今の主治医と薬の相談をして作業所から始めることになると思う。

まずは変薬から、というのが私の希望だ。今の状態では働くなんてできそうもない。