聞く人によってはとても贅沢でずるい話に聞こえるかもしれないが私は人生に飽きてしまった。
何もかもに興味も関心も持てず、ただ耐え難く長い一日を毎日どうにか耐え過ごしている。
まず趣味を持てない。病気になる前は飲み会とパチンコとスノボにBBQととりあえず仲間と遊ぶことが大好きだった。
今は友人もおらず、作る気にもならず、一人でただ莫大な時間と向き合っている。
以前は好きだった映画も見ていられないしゲームもできない。
散歩中に見る花を綺麗だと思う感情もないし人にも興味がない。
欲がないというのは良いことだとされているが何の欲もないと生きる原動力がわいてこない。
自分が何をどうしたいのかも見えてこない。
叶うならば、以前の自分のように人といるのが楽しくて何にでも興味を持って試したりしていた頃に戻りたい。
でもそうはなりそうもない。
人生に飽きたからだ。
これはかつての健常だった頃の自分には戻ることができないという諦めから来ているのかもしれない。
私は今回の入院でもう助かりようもないほどの状態の人を見てしまった。
人間あそこまでいったら終わりだなと思うが、自分もそうなる可能性があるのである。
だとしたら、今これからの努力に何か意味があるのかと思ってしまう。
そもそも、何か努力しようという気にもならない。
億劫だし諦めているからである。
今更努力したところで一体何になるのだろうと思う。
ならあとは死ぬための努力をするだけだね。という状態まできた。
まだ30、早すぎると思うが過去のドラッグ乱用のせいで脳がそこまで進んでしまったのだと思う。
これから先、生きたところでドラッグに依存していた頃程の快感も感動もないだろう。
尻すぼみした人生しか待っていない。
なのになぜ生きるのか?単純に死ぬ勇気がないからである。
快感、感動がなければ生きることが苦痛であるからかもしれない。
私にとって快感、感動を得ることとはドラッグに依存することである。
でも、ドラッグはもうやらない。
となるとどこからそれらを得ればいいのかが分からない。
昔の自分なら、とりあえず仲間を頼った。
でも今は存在しないし、頼り方すら分からない。
この世に生まれさえしなければ、苦しみは存在しなかったのにと私はよく思う。
なぜ生まれてしまったかと言えば、両親の欲望からである。
私はそれが許せない。
SEXに快感が伴わなければ人はここまで増えるだろうか。
私はNOだと思う。綺麗事を並べて結局快感に負けた人間が子を生むのだ。