統合失調症との共同生活 -22ページ目

あれは素晴らしく非現実的なものだった。

どこまでも広く続く青空に感動したり、走る車や電車にそれを初めて認識した子供の様にはしゃいだり。

庭に広がる草木がとても美しく見え、この庭の整備は誰がやっているんですか?などと話しかけた。

 

発症時のことである

 

その後ゴルフ場にたどり着き、グリーンの旗を掴んで月についたぞー!と思いきり叫んだ。

やってきた管理人が宇宙人に見えた。

 

そして上空を飛ぶ飛行機を見て空襲だ伏せろー!と叫びながらパトカーに飛び込んだ。

尿検査で薬物反応を調べている間、かつて入院していた少年院の教官が警察署内を歩いているのが見えた。

 

他には病院へ入院している間、麻雀をすると思い通りに運を操れて連荘しまくった。

役満は上がれなかったのでたまたまついていただけだろう。

私は神は偶然の中に潜んでいると考える様になった。

 

ただ、薬を変薬して病状が落ち着いてくると今までにあったツキがなくなり、全く勝てなくなった。

やっぱりあの時自分には何かツイいたと感じるほどに、偶然が重なっていた。

 

あのような非現実的な奇跡を感じると、人はまた味わいたいと思う様になる。

 

別人格が現れた時もそうだ。

人を敬い、慈悲深く、とにかく優しい人格だった。

入院患者さんからはお釈迦様だと言われた。

 

でも、薬で元の人格に戻るとあの時の振る舞いはなんだったのかという不平不満がとんできた。

私自身にも分からないのだから医者にはもっと分からない。

別人格に体を乗っ取られていたなどと話しても信じる人はいない。

 

出来たならば、あの別人格のままで生きて行きたかった。

人を敬い、大切に思う心が備わっていたから周囲の人にも簡単に受け入れてもらえたからである。

 

あれは霊能力者からすれば憑依、精神科医からすれば病気である。

ただ、統合失調症とは違うものであった。

 

元主治医も言った様に人格を変えるのは無理である。

ある日突然乗り移ったのだ。

薬を変えて睡眠をとるようにしたら元の自分に戻ってしまった。

 

あの非現実感を一度でも味わうと忘れられない。

もう一度味わいたい。

 

今現在の私という人格がどこか遠くへ行き消滅してしまったとしても、あの時の別人格で生きていきたい。

とても自由で楽しく人と交流する能力を備えていたからだ。

それにどこまでも素直であった。

 

あれは陽性症状の妄想とも違ったまさに別人格だった。

考えれば考えるほど謎は深まるばかり。

 

高級霊に憑依され、見本を見せられ出ていかれたかのような感じ。

 

まあもうまた憑依される気配はない。

 

さっさと薬を調整して活動的になりたい。

給付金でiPadを買ったがはっきり言ってお金の無駄だったと思う。

期待していたゲームにも今は興味関心がないし情報サイトの閲覧などには持っていたスマホで十分だからである。

 

出費にして7万円。7万円もあれば常用している芋焼酎を70本買えたのにと思う。

タバコ代にもなった。私の脳はドラッグによって脳内物質が放出される。

何かをしたり、誰かといたりしてもめんどくさかった、やっと一人になれた。というだけで報酬系の物質が放出されない。

 

これについては元主治医もあなたが今のような状態にあるのは過去にドラッグをやっていたからだと言っていた。

私は違法ドラッグや脱法ドラッグを頼る気はもうないが酒とタバコは存分に楽しもうと思っている。

素面では脳がカラカラに乾いていることを感じている程に何も感じないのである。

これは苦痛だ。

 

まずは酒に酔い、それからタバコを吸うと幸福感を得られる。

当然だ。そういう物質が出る様になっている合法ドラッグを摂取しているのだから。

 

だからこそ、私は素面でこの脳内物質を出せる様になりたいと思い瞑想に励んだり散歩で日光浴してみたりしているが、酒を飲んでタバコを吸うのが一番手っ取り早いのである。

難点はお金がいくらあっても足りないということだ。

 

私は現在働いていないので収入がない。

なので今の手持ちが尽きたら脳がカラカラに干からびてしまうだろう。

そうなったとき、私の脳は自力で脳内物質を出せるのか。

 

答えはNoだ。現に入院中酒もタバコも摂取できず生ける屍のように過ごしていた。

今は酒とタバコのおかげで人生に潤いが戻ってきているところだ。

 

一度でもドラッグに依存してしまうと脳は快感物質を作ることをサボるようになるらしい。

だから、それに耐えきれず再びドラッグに手を出すのだ。

 

お金が尽きたときが心配だ。

脳がカラカラで何も感じない状態で働いて酒代、タバコ代を稼がなければならない。

それは不可能だと私は諦めている。

 

そうするくらいなら断薬してリミッターを外し、自力でぶっ飛べる状態にしたい。

私の脳は非定型抗精神病薬を飲むのをやめさえすれば大量の脳内物質が放出され、多幸感や全能感を味わえる様になっている。

難点はそうなると一般社会と交わることが出来ないほどの異常性を伴ってしまうということだ。

 

そして措置入院となり、再び抗精神病薬を飲まされ生ける屍のようになる。

この生ける屍の境地とは凄まじく苦痛である。

ただ生きているだけで何も感じない。あるのは何も感じないことに対する違和感、苦悩だけである。

 

酒とタバコを買うお金がつきたとき、またそうなる。

あの時ドラッグにさえ手を出さなければ、友人が勧めてこなければ、統合失調症になる前にやめられていたら、などの後悔は死ぬほどにした。

 

でも現在の私は何かの縁か不幸かこうなった。

どうにか酒代とタバコ代を稼げるだけでも気持ちの安定感は増すのだが…。

 

お金が尽きた時、酒とタバコ欲しさに無理矢理働き出す日が来てそれが功を奏すかもしれない。

今のところは、まだ備蓄がある。

なのでもうiPadのような高くて使い道に余る様なものは買わずに酒とタバコだけを買ってしばらく過ごすつもりだ。

 

この備蓄がなくなった時が私の正念場である。

統合失調症者にはドーパミンとセロトニンをブロックするタイプの薬を服薬させるのが今の医学の一般見解だが、

これらは人が幸福感を味わうために必要不可欠なものであるらしい。

 

ということは統合失調症者が飲む非定型抗精神病薬を飲んでいる限り幸福感は味わえないのではないかという疑問がある。

ドーパミンが過剰に出てしまうと確かに幻聴や妄想が出てきてしまうのだが抑えすぎてしまうと無気力無関心になってしまうらしい。

 

私は今抑えられすぎている状態だと思っている。

統合失調症者というものは本来はドーパミンもセロトニンも他人より分泌されやすい幸せ体質だった人がなるものなのか?と思っている。

確かに、私は統合失調症を発症する前は幸せであった。その時に自覚はなく、今思えば、という話になってしまうが。

 

仲間もいたし趣味もあったし仕事もできたし毎日が楽しくて、ある日ふと、友人の一人に人生に飽きた。とこぼした。

そこから、ドラッグに完全に依存しだしある日神秘的な体験をするとともに措置入院となった。

それからもう十年になる。

 

傍から見れば狂人であっても本人からしたらドーパミンもセロトニンも分泌されていて幸福を感じているのなら無理に薬で抑える必要はないのでは?と思っている。

社会的に迷惑をかけたり犯罪に走らない限りだ。

 

現に入院中、いつも一人で笑っている人がいた。傍から見れば一人でずっと笑っていて気味が悪いとなるが本人からすれば笑顔になれる程の幸福感を味わっているのかもしれない。

その人はたしかオランザピンを一日20mg飲んでいた。欠点は、すぐ沸点が上がってしまいぶち切れてしまうことぐらいだった。

会話の中身は現実が何も見えていない嘘にしか聞こえない妄想で溢れていた。

それでも、ずっと一人で笑っていた。

 

私は統合失調症になってから心から笑った記憶がない。

人に合わせて笑顔を作るばかりで空しい思いばかりしている。

 

幸福感を味わえる脳内物質を出すために最近は瞑想をしたりしているのだがなかなか上手くいかない。

これならば薬を取っ払ってしまった方が早いのでは?と思う。

 

今飲んでいる薬はリスペリドン6mgとレキサルティ2mgなのだがリスペリドンはドーパミンとセロトニンをブロックし、

レキサルティはその両方を適量に保ってくれると書かれている。

ならばレキサルティ単剤にした方がいいのではないかと思っている。

 

そう思い、入院中にリスペリドンを減量したところ体感時間が10倍以上になるという異常事態が起きた。

暇で退屈で苦しいという時間が普段の10倍以上になってしまい精神が錯乱して隔離送りとなった。

あれはいつ考えても謎の現象である。

統合失調症の症状ではないと感じている。

 

ただ、薬を減量して一週間後程にその状態になってしまったため薬が足りなかったせいということになって薬が増える結果になった。

それからの私は無気力無関心である。

これならば、多少言葉に妄想の気が混ざっていようとも幸福感のあった頃の方がマシである。

 

私は入院中、日記を書いていたのだが、ある日その日記を見て、その日記を書いた人物が可哀そうになり涙がこぼれてしまう自分を外から見ている。

という経験をしたことがある。

嫌いで話しもしたくない相手に親しげに話しかけてしまったり、多重人格に近い感覚を味わったことがある。

 

この文を読むとやばい病気の人じゃんとなってしまうが、その別人格の時は今この瞬間、入院生活すらを楽しめていたのである。

不思議な病気だ。

 

その時の主治医にこの経験を伝えてみたところ人の人格が変わることはないよ。という一般常識の言葉で退けられただけだった。

あの感覚はまさに体験した者でなければ分からない。

統合失調症の症状に「させられ体験」というものがあるがそれに近いものだったと思う。

 

この記事で何が言いたいかと言うと、統合失調症で飲んでいる薬が実は足枷になっているのではないかということだ。

私は生涯を隔離室で送ることになろうとも、それで自分が幸福感を味わっていられるのであればそれでいいと思っている。

変に現実を見過ぎて夢も希望も無い中、薬を飲んで正気を保ち生きるくらいであれば

狂人となって一人妄想の中を幸せに生きた方が良いという考えだ。

 

私は陽性症状が出ると人々みんなを家族のように認識してしまい、誰にでも親しげに話しかけて変人扱いを受けてしまう。

でも、そこまで行くもう少し前くらいで止めることができれば非常に社交性の高い一般的に好感を受ける人物になることができる。

 

この世に生まれた以上死ぬまで生きるということは決まった話だがそれならば私は幸福感を味わって生きていきたいのである。

それを結婚だ子育てだ恋愛だ仕事だ友人だなどと結びつける人は多いが、私の場合脳内物質が出て幸福感を味わっている状態になっていればそれでいいのである。

 

そこが、やっぱり過去にドラッグをやってしまったせいで健常者と離れてしまった考え方であると思う。

今の私には生きていられることに対する喜びも感動も感情も何もない。

ただ、今生きていて殺されたり苦しんで死ぬ恐れがあるということへの負の感情はある。

 

だから今回述べたことを新しい主治医に伝えて薬の調整をしてもらう予定だ。