統合失調症者にはドーパミンとセロトニンをブロックするタイプの薬を服薬させるのが今の医学の一般見解だが、
これらは人が幸福感を味わうために必要不可欠なものであるらしい。
ということは統合失調症者が飲む非定型抗精神病薬を飲んでいる限り幸福感は味わえないのではないかという疑問がある。
ドーパミンが過剰に出てしまうと確かに幻聴や妄想が出てきてしまうのだが抑えすぎてしまうと無気力無関心になってしまうらしい。
私は今抑えられすぎている状態だと思っている。
統合失調症者というものは本来はドーパミンもセロトニンも他人より分泌されやすい幸せ体質だった人がなるものなのか?と思っている。
確かに、私は統合失調症を発症する前は幸せであった。その時に自覚はなく、今思えば、という話になってしまうが。
仲間もいたし趣味もあったし仕事もできたし毎日が楽しくて、ある日ふと、友人の一人に人生に飽きた。とこぼした。
そこから、ドラッグに完全に依存しだしある日神秘的な体験をするとともに措置入院となった。
それからもう十年になる。
傍から見れば狂人であっても本人からしたらドーパミンもセロトニンも分泌されていて幸福を感じているのなら無理に薬で抑える必要はないのでは?と思っている。
社会的に迷惑をかけたり犯罪に走らない限りだ。
現に入院中、いつも一人で笑っている人がいた。傍から見れば一人でずっと笑っていて気味が悪いとなるが本人からすれば笑顔になれる程の幸福感を味わっているのかもしれない。
その人はたしかオランザピンを一日20mg飲んでいた。欠点は、すぐ沸点が上がってしまいぶち切れてしまうことぐらいだった。
会話の中身は現実が何も見えていない嘘にしか聞こえない妄想で溢れていた。
それでも、ずっと一人で笑っていた。
私は統合失調症になってから心から笑った記憶がない。
人に合わせて笑顔を作るばかりで空しい思いばかりしている。
幸福感を味わえる脳内物質を出すために最近は瞑想をしたりしているのだがなかなか上手くいかない。
これならば薬を取っ払ってしまった方が早いのでは?と思う。
今飲んでいる薬はリスペリドン6mgとレキサルティ2mgなのだがリスペリドンはドーパミンとセロトニンをブロックし、
レキサルティはその両方を適量に保ってくれると書かれている。
ならばレキサルティ単剤にした方がいいのではないかと思っている。
そう思い、入院中にリスペリドンを減量したところ体感時間が10倍以上になるという異常事態が起きた。
暇で退屈で苦しいという時間が普段の10倍以上になってしまい精神が錯乱して隔離送りとなった。
あれはいつ考えても謎の現象である。
統合失調症の症状ではないと感じている。
ただ、薬を減量して一週間後程にその状態になってしまったため薬が足りなかったせいということになって薬が増える結果になった。
それからの私は無気力無関心である。
これならば、多少言葉に妄想の気が混ざっていようとも幸福感のあった頃の方がマシである。
私は入院中、日記を書いていたのだが、ある日その日記を見て、その日記を書いた人物が可哀そうになり涙がこぼれてしまう自分を外から見ている。
という経験をしたことがある。
嫌いで話しもしたくない相手に親しげに話しかけてしまったり、多重人格に近い感覚を味わったことがある。
この文を読むとやばい病気の人じゃんとなってしまうが、その別人格の時は今この瞬間、入院生活すらを楽しめていたのである。
不思議な病気だ。
その時の主治医にこの経験を伝えてみたところ人の人格が変わることはないよ。という一般常識の言葉で退けられただけだった。
あの感覚はまさに体験した者でなければ分からない。
統合失調症の症状に「させられ体験」というものがあるがそれに近いものだったと思う。
この記事で何が言いたいかと言うと、統合失調症で飲んでいる薬が実は足枷になっているのではないかということだ。
私は生涯を隔離室で送ることになろうとも、それで自分が幸福感を味わっていられるのであればそれでいいと思っている。
変に現実を見過ぎて夢も希望も無い中、薬を飲んで正気を保ち生きるくらいであれば
狂人となって一人妄想の中を幸せに生きた方が良いという考えだ。
私は陽性症状が出ると人々みんなを家族のように認識してしまい、誰にでも親しげに話しかけて変人扱いを受けてしまう。
でも、そこまで行くもう少し前くらいで止めることができれば非常に社交性の高い一般的に好感を受ける人物になることができる。
この世に生まれた以上死ぬまで生きるということは決まった話だがそれならば私は幸福感を味わって生きていきたいのである。
それを結婚だ子育てだ恋愛だ仕事だ友人だなどと結びつける人は多いが、私の場合脳内物質が出て幸福感を味わっている状態になっていればそれでいいのである。
そこが、やっぱり過去にドラッグをやってしまったせいで健常者と離れてしまった考え方であると思う。
今の私には生きていられることに対する喜びも感動も感情も何もない。
ただ、今生きていて殺されたり苦しんで死ぬ恐れがあるということへの負の感情はある。
だから今回述べたことを新しい主治医に伝えて薬の調整をしてもらう予定だ。