統合失調症との共同生活 -18ページ目

ブログでもSNSでもYouTubeでもなんでも良いから思いを発散することが大切だと聞いた。

それがYouTubeであったならば上手くいけば収入も見込めるので良いと思うのだが、

私は口下手でフリートークなどはできない。

 

こうして考えながら文章に起こすことはできるのだが、いくらブログを書いても収益にはつながらない。

アフィリエイトで紹介したい商品も無い。

 

ブログを書くメリットはかろうじて人との繋がりを持てるということだ。

私の書く文章に共感してくれる人もいる。

それが生きる微かな励みになっている。

 

当時、精神病は甘えだと思い、統合失調症だなんて不治の病があることを知らなかった私は幸せだった。

仲間に恵まれていたからだ。

ただ、その仲間も世間から言わせればただのチンピラであった。

暴力に訴えて勝つことに快感を覚える人種だった。

 

なので統合失調症になって暴力が怖くなったので縁が切れてホッとしていると言えばホッとしている。

ただ、暴力の世界にいたので人がいつまで経っても怖いという感情が根付いている。

 

人生諦めてもう死にたいなどと考えるが自殺未遂した日に見た夢が私を思いとどまらせている。

自殺したら来世で自殺すらできない体に生まれてきて生涯苦しみ続けることになるのではないかと思っている。

 

今現在も苦しみ続けているのだが、酒も飲めるしタバコも吸えるし好きなときに眠って好きなときに食事をとれて幸福と言えば幸福なのである。

ただ。慢性的な退屈が精神を蝕んでいる。

死ぬまで目が覚めなくてもいいくらい夢の中の世界にいたい。

 

私の目標は何もしていなくても退屈という苦痛を感じず、ただありのまま時間とともに有るだけでも幸福とまではいかなくても不快を感じなくなることだ。

そうなれば生涯を楽に生きていくことができる。

 

でも人というものにとって何もしないというのは苦痛である。

退屈という不快があるからだ。

 

それで何か趣味や娯楽や仕事をするのだが、それができない状態がずっと続いている。

一日中瞑想をしていても飽きない程の瞑想の達人になれればいいのだが、瞑想なんて30分が限界である。

一日は10時間以上。とてもじゃないが助けにはならない。

 

退屈さえしのげれば、私の人生は一変するだろう。

そのためには集中力と興味関心と意欲を取り戻す、つまり陰性症状を治さなければいけない。

ただ陰性症状は時間によってしかも偶発的にしか治らない。

 

仏教では死へ向かって歩いている不安を抱えているから人は心に本心から楽しむことができない影を抱えているなどと言うが、

私にとっては死は救いなのである。

ただ、自殺はいけないと言うので早く死んで救われたくても救われることができない。

 

人生は本当に苦しくて大変な重荷に変わってしまった。

まさか自分がこんな病にかかるとは未だに納得がいかないし、こんな病が存在していることがそもそもあんまりだ。

 

でももっと苦しい難病にかかっている人も多くいる。

苦しんでいる人がこの世にはちと多すぎるのではないかと思う。

 

そんなところに平気で子を生み、自分の幸せばかりを願う人種が私は嫌いだ。

薬も訪問看護の回数も現状維持ということで診察は終わった。

病院側の目標としては私を社会復帰させる方向に持っていくことなのだが、

私は生活保護で一人暮らししていければいいと思っている。

 

集中力もないし意欲もないし興味も関心もないしとても働けないと思っている。

今のところはという話になるが。

 

最近は暇すぎるのでYouTubeで同じ統合失調症の方の配信を見たり、

後は反出生主義について語る方の動画を見て共感したりしている。

 

統合失調症でも明るく現実を生きている人がいるのだがそれがすごく羨ましく感じる。

私は統合失調症歴10年である。

そろそろ寛解しても良い時期だったのだが母ともめたせいで再入院させられ、入院生活の他人との同居や規則や看護師から受けるストレスで3回も入院中に再発してしまった。

 

だから今とても重い陰性症状を体験している。

陰性症状に効く薬は無い。

だから、時間を待つしかないのだが前回の陰性症状では私が活動的になるまで何年もかかった。

今回も年単位でかかると思うのだが、治る保証がない。

 

元主治医はもう永続的に続くから今の状態で働けと言ったが今回の主治医はまだ様子見で休んでいいと言う風に話してくれている。

統合失調症を良くする大事なポイントは睡眠、服薬、そして遊ぶということらしい。

 

確かに遊ぶことは大事なことだ。

人生を楽しいと思えなければネガティブな感情ばかりに支配され希死念慮が出てくる。

 

ただ、陰性症状が重いせいもあって遊ぶということができない。

何をやってもつまらなくて退屈で窮屈で仕方がないのだ。

 

昨日はお酒の力を借りながらインセプションとシャッターアイランドという映画を2本見ることができた。

健常者だった頃に好きだった映画だったので内容もなんとなく頭に入っていたし、すんなり見ることができて充実した。

2時間映画を2本も見ることができたというのは良い傾向である。

 

レオナルドディカプリオが好きなので彼が主演の映画を新しく見始めたが内容に興味がわいてこず、見ることができなかった。

過去に好きだった映画はかろうじて見れた。

タイタニックを久々に見たかったがアマゾンプライムでは無かった。

 

睡眠と服薬はできているので後は遊んで人生楽しいと思えるようになれたらいいと思うのだが、

私は他人と居る空間が嫌いである。

興味がないため話も振れず興味のない話をうんうんとうなづきながら聞いているフリをしてたまに笑顔を作るというのが疲れる。

 

だから、一人で完結できる趣味、娯楽を見つけるべきなのだが何もする気が起きない。

健常者だった頃は映画が好きで映画の世界にすぐ入りこめ、感動して涙を流すこともあったが

今はそこまでいけない。

飽きるしつまらないから見ていられない。

 

読書も集中力も興味もないためできない。

かなり重い陰性症状だと感じている。

 

病院側は執拗に作業所かデイケアへ行くことを勧めてくるのだが私は社会復帰できないと思っている。

働くなんてストレスの連続で病状が悪化しないか心配だ。

それに人と関わること自体好きではない。

 

明るくて人といるのが好きだった頃の自分には自信が溢れていた。

成功体験を積み重ね、自分ならできるという感情があった。

今はとにもかくにも自信がない。そこで何も行動を起こさない私を逃げているという人もいるのだが

逃げる他ないだろうと思う。

 

母親が馬鹿なことを言い出さない限りは再入院の可能性は低いが、私の母親は私を再入院させたがっている。

散々少年期に虐待しておいて、精神的にも追い詰める言葉を何度もぶつけてきて、母親はそれを無かったことのように振る舞い、私を加害者に仕立て上げている。

なので私は母親を心のそこから憎んでいる。

こいつこそが地獄に落ちるべき人間だと思っている。

 

でも、現実で地獄に落ちたのは私の方だった。不条理だと思う。

自殺未遂をした日、体が不自由になって動けなくなり、自殺すらできず周囲の人からも見捨てられ回復もしないという夢を見た。

あれが私の来世なのかと思っている。

 

だとしたら絶望である。生きるも地獄死ぬも地獄で救いがない。

やはり両親がSEXして私を生みさえしなければこんな苦しみはなかったのにと私は考える。

 

これを健常者に話しても理解されない。

親への感謝はないのかなどという話をされる。

虐待して私を何度も劣悪な精神病棟に閉じ込め、母親はそこに私を捨てる気だった。

 

結局、血のつながりがあっても他人である。

利害の一致でしか人とは繋がれない。

無償の愛などというものは私の現実には存在しなかった。

 

生きている内に親孝行をしろなどと言ってくる人間に私は嫌悪を覚える。

一体誰のせいでこのような状況に陥ったか。親のせいである。

私はいつどんな形で母親が死のうが後悔などしない。

地獄に落ちてくれとまで思っている。

 

人生が楽しく、素晴らしくて生んでくれてありがとうとなるまでは親を許しようがないのである。

そして、そうなる日は来ないだろうと思う。

 

過去は変えられないのだから今これからを生きろという言葉があるが、

陰性症状で生きているのが既に苦痛なのである。

明るくなる未来が想像もできない。

私にはこの世が地獄に思えてならない。

弱肉強食の殺し合いの世界だからである。

 

殺さなければ食っていけないというだけで残酷である。

野生動物が捕食する姿を動画で見たことがあるが残酷極まりないものであった。

食う側も、飢えに苦しみ食われる側も痛みと恐怖に苦しみ、この世はなんて残酷なんだろうと思う。

 

人間は大半がのうのうと生きているがそのために殺され、食われる命が大量に存在しているのである。

やはりこの世に一切を救うなどという神はいないのだと思う。

この世を作ったのは悪魔だ。

 

悪魔が作った世界なのだから苦しくて当然である。

なのに、動物には理性がないから仕方のないこととして、人間には考える知能があるのに子を生む。

そこが私は納得いかない。

 

人一人生まれて、どれだけの命が寿命までに犠牲になるか。

それでも日本人というか大半は食えて当たり前だと思っている。

人間とは本当に醜いものである。

 

子供を生むという行為がとても自己中極まりない欲望にまみれた行為に見える。

私は早くこの世を終えたい。

でも自殺したらおそらくもっと地獄に落ちそうな気がしている。

 

事故や病気で身近な人が死んで悲しむ人が多いが、そうなるリスクを知っていて生んでいるくせに何を悲しんでいるのだろうと思う。

人間、生きていればリスクがつきものでいつどんな形で苦しんで死ぬかも分からないと知っている上で子を生む。

馬鹿馬鹿しいと私は思う。

 

最初から生むんじゃねえよと言いたい。

が、仏教やスピリチュアルから言わせれば因が有って果が生まれる。

私にも何か原因があってこの世に生まれているという話になる。

 

親がSEXしなければ生まれてこなかったのは間違いがないのだが、魂はまた別の形でこの世に生まれてきたのだろうと思う。

私は何があっても子供を生む気はない。生まれる子供が可哀そうで仕方がないからだ。

 

前にも書いたが人が子を生む理由は世間体や欲望の結果である。

そこで子供も若いうちは過ちを犯すだろうが歳をとればこの世がどういうものか見えてくる。

そこで、生まないという選択をとれるようになる人が増えてくれれば余計な苦しみも生まないし、

その人が死ぬまでに食さなければいけない命も助かる。

 

子孫を残したがる、SEXをしたがる人間は動物以下である。

来世で思う存分苦しんでくれと思う。

 

私はあの世に関しては半信半疑だ。ただ、死にたいと思って自殺未遂などをした日に見る夢が警告のように感じるものなのである。

私は体が不自由で思い通りに動かなくなる夢をよく見る。

あれが来世の自分なのか、現世の将来なのか不明だがあんな夢を見ていると死んで不自由になるのが怖くなってくる。

 

寿命まで生きる自信がない。

この先老いて、病んで、苦しみを抱えてあと30年は生きることになるだろう。

その間も殺された命を食って、罪を犯しながら生きていくことになる。

 

私はもう二度と命を持ちたくないのである。

無へはなれそうもないから次は蚊のように一瞬で死ねる命を希望したい。

 

今死んで余計に殺されて私に食われる命を救うか、寿命まで生きてよく言う天寿を全うするか、どちらが善なのか分からない。

ただ、夢で警告されたので自殺は考えていない。

 

延命延命で長生きするためにどうすれば良いかを考えている人間が私は嫌いである。

訪問看護でも野菜を食えだのなんだの言って長生きさせるのが善だと思っている人が多い。

一体長生きして何になるのだと私は思う。

 

人の命を救うことが善であるという考え方がまずおかしい。

その人本人が生きたいと思っているのなら確かに救ったことになるが死にたいと思っていてやっと寿命が来たと思ったら延命治療で生かされたりなんてしたらたまらないだろう。

 

いざ死ぬとなったら死ぬ!助けてくれとなるのが人だとは思うが助けられた後どう生きるのかという話になる。

私は苦しみ少なく死にたい。だから首吊りという選択肢があがるのだが自殺したら更なる地獄に落ちるという話がある。

どこまで行っても助からない。

救いがない。

 

それがこの世という場所なのだと思う。