統合失調症との共同生活 -16ページ目

声や音が全て自分に向けられているように感じる。

この症状はずっと前からある。

なのでもう治らないと思っている。

 

入院中に元主治医にも伝えてみたが、あまり真剣に取り合ってもらえなかった。

気にしなければいいだけだというのは分かった上で、声や音に過敏に反応してしまう。

恐怖を覚えることも多い。

 

だから非常に疲れやすい。

人から敵意や悪意を向けられていないか心配になってしまう。

 

これは統合失調症の症状の一つで、フィルターがなくなってしまうことによって起こるらしい。

健常だった頃は自然とシャットアウトできていた声や音が全て入ってくる。

その中から一々自分に関して何か敵意や悪意を感じるものはなかったかを確認しないと不安になってしまう。

 

そしてあったと判断した場合、恐怖感に包まれる。

が、この症状は酒に酔うと静まる。

酔っていると敵意や悪意があろうとなかろうと関係ないやという心境になれるのである。

 

だから私はもう毎日飲んでいる。

はっきり言ってアルコール依存症である。

 

だから今ある酒がなくなったら、もう買うのを止めようと思う。

ついでにタバコも止める気だ。

 

酒とタバコなくしてどう生きていけばいいのかと不安にもなるが、このままだと良くない。

お金も無駄だし、精神的な依存を作り出してしまっているからだ。

 

なのでまた、断酒、禁煙日記を近々始めることになると思う。

せっかく二年の入院で飲酒欲求は完全に消えていたのに退院祝いでこの時だけと思って飲んだら連続飲酒が始まってしまった。

私はもう飲んではいけない人間なのだと自覚した。

 

酒とタバコ今後一切無し、となると将来に不安を覚えるがその方が自分のためになる。

私の人生はドラッグ依存との闘いだ。

勝てるか不安だが頑張ろう。

今日は久々に夜更かししようと思っている。

眠気もないし寝る理由も特に無いし、深夜の静寂に包まれていたいからだ。

この深夜に訪問者がもしも来たら私は恐怖で縮み上がるだろう。

 

でも、訪問者は日中か夜にしかこない。

だから深夜は心がホッと休まる時間なのだ。

 

夜更かししてやることもないというか生きていてやることがもはやネットくらいしかないのが苦痛ではあるが現状仕方がないと思っている。

私に小説の一冊でも書くことができたならと思うが、ノンフィクションしか書けそうもないし私の人生は楽しいものではない。

人には知られたくないことばかりをしてきた。

 

それに、自伝風の短編をブログに乗せてみたがいいねもろくに付かなかった。

評価されづらい文章しか書けないということだろう。

 

歌が上手ければ歌手を目指しただろうし、演技が上手ければ俳優、ダンスが上手ければダンサー、文才と想像力があれば小説家など、夢を追いかけられただろう。

 

最初から上手い人もいれば努力で勝ち取る人もいるわけだが、私はもう何年もブログを書いているのに一向に面白い文章が書けない。

でも、自ら発信できそうなものがブログくらいしかない。

 

人を楽しませる文章も書けず、役立つものも書けず、日々の苦悩を吐き出すだけの私のブログ。

読んでくださっている方に申し訳なくも思う。

それでも、いいねを押してくれる僅かな人の心遣いで続けられている。

 

私は母さえ、母さえまともで正気を保って育児をしてくれていたらと過去を振り返ると何度も思う。

人のせいにすることになるが私は健常に育ち、今とは全く違った未来を描けていただろうと考えてしまう。

 

スピリチュアルでは子が親を選び生まれてくるのだと言うが、世の中にいる虐待死すると分かっていて生まれてくるなんて相当な覚悟が必要だ。

 

仏教では業という言葉がある。

その人自身が前世から背負い、現世での行いの因果から今があるのだという。

 

私はとんでもないところに生まれた。

これも、前世での悪行からの業が生んだ結果なのだと仏教は言う。

 

でも言ってしまえば親がSEXさえしなければ私は生まれてこなくて済んだはずでは?

欲望に負けた親が悪いのでは?と現世だけを考えるとこうなる。

 

それに前世での記憶さえあれば、同じ過ちを踏まず、正しく生きることもできたのではないかと思う。

来世があるとして、また記憶を消されてやり直しになり親も環境も同じだったら同じ過ちを繰り返す。

この一端がデジャヴのようなものなのかなと思っている。

 

人は永久に自分に生まれ、永久に自分を繰り返すなんて漫画をタイトルは忘れたが読んだことがある。

だとしたら、不幸ではあるが魔女狩りの時代のような拷問を受けて死ぬ人生よりはマシだ。

 

目には目を歯には歯をでやったことが完全に自分に返ってくる世界になれば、平和になるんじゃないかと思う。

今はバレずに捕まりさえしなければやったもん勝ちという感じがする。

だから犯罪はなくならないのだろう。

 

人には神という飼い主が必要なのだと思う。

飼い主がなんの躾もしないから、虐待やら殺人やらいじめやらレイプやら色んな犯罪が起こる。

 

でも願ったところで神は救いの手を差し伸べてくれることはない。

死後救ってくれるのか、もしくは存在しないからだ。

 

仏教では来世を良くするために善行を積み、仏法を聞きなさいと教える。

私にとっては現世をこそ、救って欲しいのだ。

私は現世で人助けはできない。役立たずの甲斐性なしだからだ。

ボランティアなどにも興味がない。賃金が出ると言われようが、やらないだろう。

 

他人を助けることが、自分を助けることになるなどと説かれるが、今一ピンと来ない。

他人から助けられたという経験に乏しいからかもしれない。

 

今は精神障碍者として医療を受けているが、助けられているという感覚は無い。

生活を管理されて社会で暮らせるかどうか監視されているようにしか感じない。

 

自由がないのだ。

かつてあった奴隷社会程ではないが、他人から生活を管理、監視され少しでも不適合があれば再入院させられ

自殺もできず毎日何もない牢獄に放り込まれる。

そこで寿命を迎える人も現実に存在している。人生とは無情なものだ。

 

家庭持ちで入院している人も多くいた。

よくぞ子供を生んだものだなと思う。子供を生んだらどうなるか想像もできないレベルの人だったんだろうなと。

 

独身者、もしくは既婚者で子供を生んだら可哀そうなどという人は現実がよく見えていると思う。

若くて病もなくて人生が楽しい内は子が欲しくなってしまう。

それは仕方のないことだが、ある程度歳をとったら気づくべきだと思う。

 

うちの母親は孫の顔が見たいなど言わないどころか、私が若かった頃にできた子供をおろすように言ってきた。

子供を生んだことを後悔しているのだろう。

私もこの親元に生まれたことを憎んでいる。

 

母は、姉が生まれたときに可愛いともなんとも思わなかったと言った。

それなのに、二人目の私を生んだ。性欲に負けたのである。

気持ちが悪くて仕方がない。性欲などのために生まれさせられて何十年も苦しんで生きなければならない。

 

だから私は性欲の強い人間を気持ち悪く思う。

ただ、私にも性欲はある。でもSEXして子孫を残そうとするほどではない。

 

毒のある文章になってしまったが、私を渦巻いているのは不平不満なのである。

私は何度も何度もお前なんて生まなければ良かったと言われ、生めなんて頼んでいないと言ったら何度も殴られた。

はっきり言うが生まれたくなんて本当になかった。

 

だから私に子を生む気は無い。

例え愛する人にもし出会ったとしても生まない。

こんな所に生まれる子供が可哀そうで仕方がないからだ。

私は健常者だった頃、精神病を患っている女性を性欲処理に使ったことがある。

彼女はすっかり私に依存してしまい、連絡もめんどうになり本当は彼女がいるからもう会えないと嘘をついて連絡を絶った。

すると着信履歴がその女性一色に染まり、メールでは私はもう死にますなどと言ってリスカの画像と大量の薬をODする画像を送ってきた。

 

健常者だった頃の私からすれば、ただ男に振られただけじゃないかで済む話なのだが、その女性にとっては依存して執着してお前のせいで私は死ぬんだという罪悪感を植え付けたかったようだ。

 

同じ精神病者になってみてその気持ちが少しは分かるようになってきた。

健常者にとっては何ともないただそれだけのことじゃないかで済む事案が精神病者にとっては酷く苦しいものなのである。

 

その女性が実際に死んだのかは分かるよしもないが、死んでいたとしたら私は呪われている気がする。

かつて私がした事と同じように、対して悪気も感じていない健常者から追い詰められて自殺するほどの苦痛を味わうのではないかと思う。

 

となれば、まさしく因果応報自業自得である。仏教の教えというものは罪を重ねずに生きる術を知らなかったものにとっては地獄の教えだ。

 

私だってそこまで追い詰めることになるとは思っていなかった。

ワンナイトラブ程度にしか考えていなかった。

 

いじめの加害者と同じだ。

まさかそこまでの苦痛を与えている自覚などなかったという。

 

精神障害者というものはとても弱い。

少しのことで不安と恐怖にかられ死にたくなってしまう。

 

これで私が死ねば、因果応報自業自得、やった行いが返ってきたということになる。

罪を償うためにもどこかのタイミングで死ななければいけないなと考えている。

それも自殺でだ。

 

そうすれば、その女性も納得してくれるだろう。

 

私は正しく知らなかったのだ。

こんな景色、こんな世界があることを。

それを身を持って知らされたのはやはりその女性の呪いなのかと思っている。

 

私は人が怖い。だから殺される前に死ななければならないと思っている。

自殺するのも大変だ。

ストレスが一度に降りかかってもうダメだとならないと踏ん切りがつかない。

 

もう生きてやり残したこともないしやりたいこともないしもはや生きる意味がないのである。

あるのはそんな私を咎めてくる存在。

社会に対して何の善ももたらさないのに生きていて無駄で邪魔だという連中。

 

いつ死んでも構わないほどに人生を堪能したが、それでも自殺には強い恐怖感がある。

未遂に終わり、再び精神病棟に再入院なんてことになったり、後遺症を抱えてこれから先何十年も生きろとなればまさに生き地獄である。

それが一番の恐怖だ。

 

自殺を決行するにはもう死んでやる!という強い意思力が必要である。

ストレスは行動の源というがまさにそれである。

 

拭いきれなくなったケツを拭いてくれるのは自分しかいないのである。

私は過去罪深い行いを多くして少年院にまで入った。

 

自殺がそのケジメになるというのならするべきだと思うし、人によってはそれでも死ぬ日が来るまで苦しみ生きることがケジメだろうと言う人もいるだろう。

 

私だって最初から善人に生まれたかった。

普通の家庭に生まれ、親からの虐待で性格や思考が屈折することもなく、笑顔で生活を送れる人種になりたかった。

 

けれどそうはならなかった。

精神障害者は脆すぎる。それを、当時健常だった私は知らずに一人の女性を追い詰めてしまった。

後悔しかない。

 

精神病というものは脳内環境を整えれば治るとされている。

でも、いくら薬を飲んでも治らない。

 

私にあるのは過去のトラウマ、罪悪感、諦めの境地である。

こんな人生をスパッと忘れて楽しい気分にさせる薬なんて存在しない。

ドラッグくらいしかないだろう。

 

だから、ドラッグ依存症は治らないのだ。

私の場合はドラッグが原因で統合失調症になり、年金ももらえず人生を棒に振ってしまったので再びやることはない。

金もないし入手ルートだってない。

 

人はいずれ死ぬ。

その現実の中に何か意義を見出して生きたいというのが本能だろう。

私にとっては自殺も事故も病気も事件も早いか遅いかの違いだけで苦しみ少なく死ねるのが一番良いと考えている。

 

私の死生観では人は死後無になれないと思っている。

それでも、自殺をして何とか現実から救われようとした命は救ってもらいたいと思う。

 

神はいるかもしれないが助けてはくれない。

霊もいるかもしれないが生者の足ばかり引っ張る。

 

私に日常生活を送れて偉いねと褒めてくれる人はいない。

できて当たり前、できなければ役立たずと言うものばかりである。

 

最近疲れてきた。

まだ生きてもいいが事態が好転する未来は見えない。

なら死ねば良いのではと言う話になるのだが死ぬのも一苦労二苦労あるのである。

 

あの親元に生まれてきたのが人生最大の後悔、過ち、失敗であった。