⒉萎んでいく心。 | 統合失調症との共同生活
中学校卒業後


一刻も早く家を出たかった私は、すぐに土方の仕事を始めた。
運良くそこで知り合った先輩の元で居候をさせてもらえることになり、東京に来てからというもの幸運ばかり続いている。

中学時代の友人は全員進学した為、自然と社会人になった私との交友は無くなっていった。
新しくできた友人はいわゆる不良と呼ばれるような人達だったが、仕事は大真面目にやっていたし、情に厚いやつばかりだった。
私から言わせれば、親の小遣いでへらへら笑って遊んでいる学生の方がよっぽど不良だといえる。

私は無断欠勤したり、体調不良を訴えながらも必死で二年間、なんとか仕事を続けてきた。
元々体力の無い私。現場仕事は本当にキツい…何か部活に入って体を鍛えておけばよかった。

「半年もすれば身体ができて楽になる。」そう先輩方から言われるが、私の身体は一年経っても一向に逞しくならず。
ネズミ小僧の呪いだとでもいうのか…。
単純に、消化器官が全然育たないままここまで来てしまったのだろう。
細い身体が更に引き締まり、俺のこの肉を分けてやりたいと何人の人から言われたことか。
羨ましがる要素なんて一つもないぞ…。

でもまあ仕事を始めた当時と比べれば、体力は格段に上がったので問題なし。
しかし、それでも現場はキツい!

ということで私はお世話になったこの職場を離れ、キャバクラのボーイを始めてみた。
寮もついていたし、何より室内での仕事。
キツい現場での力仕事から解放されて気分上々である。

だが一度苦しいところから楽なところへ行くと、また更に楽なところはないかと探してしまうのがこの私。
そう、私は正真正銘の根性無しなのだ。

ボーイの仕事は現場仕事と比べてなんだか達成感が足りない。
自尊心だって強くならないし、客に頭を下げてばかりで気に入らない。
…だけど土方はキツい。

こいつはどうしたものか…。私はもっと楽で良い仕事はないかと考える。
そうだ!ホストをやろう。
わいわい騒いで酒が飲めておまけに金までついてくる。
これは我ながらいいアイデアだ!

自尊心もクソも有ったものではないが、体力は無くとも元気だけはいっぱいの私。
ホストなんてピッタリじゃないかと意気揚々。

さっそくホストを始めた私。
ニコニコして席に着き、酒を飲んで場を盛り上げてトイレで吐いてまた飲んで。
飲んで吐いて飲んで笑われて飲んで歌って吐いて……
若いキャバクラ嬢の相手ばかりさせられていたので、大体最後には酔い潰れていた。

毎日毎日浴びる程に酒を飲み、若さにものを言わせていつ寝たかもよく分からない状態のまま日々が過ぎて行く。
人間とは不思議なもので、こんな生活を送っていても周りの人間も同じような生活を送っていれば、不安を感じないように設計されている。
この設計者は間違いなく飛んでもない悪趣味な野郎だろう。


この何の生産性も無いくだらない仕事で現場仕事の三倍以上もの給料を手にしたとき、自分の選択は間違っていなかったと私は確信した。
なんだか土方の先輩方に申し訳ないな…とすっかり調子に乗る私。つくづく救い用がない…いや、誰か救ってくれ。

まあ当然こんな生活なんて続かない。
私は度々、憂鬱な気持ちに襲われるようになった。

もう酒は飲みたくない
女の顔も見たくない
動きたくない
働きたくない
休みたい
何もしたくない…。

次々とネガティブな感情がこちらに手を振り、続々とやってくる。
この自分の弱い気持ちと私は必死に闘い、気力を振り絞ってクソつまらない状況もあほみたいに笑い飛ばして仕事を続けた。

もしもこの時の私が軽い鬱状態にあったのだとしたら、これ程最悪な環境は他に無いだろう。
私の精神は見る見る衰弱していき、とうとう一歩も動けなくなった。
いつものお調子者な様子など遠い彼方へと消え去ってしまい、大袈裟な程の無表情で丸まっている。

それを見た店長から疲れが溜まったんだと言われ、一週間の休みをいただくことになった。
一週間…。いつもの自分がそんなに休みをもらったら、嬉しさのあまり風邪を引いていたとしてもすぐに治してしまうことだろう。

だが、今は嬉しさなんて感じない。
一週間で元に戻るだろうか…?でも早く治して挽回しないと…。
大丈夫、寝ていればきっとよくなる。ただ飲みすぎただけだ。

…そんな思いとは裏腹に、私の心は全く休まろうとしない。

早く元気にならないと。
早く元気になって、お客さんを出迎えて、
またたくさんお酒を飲んで、精一杯楽しませて、たくさん笑って、満足させて……

ただじっと休んでいればいいことは分かっている。
それなのに…感じたことの無い不安で心が押し潰されてしまいそうだ…。


突然、私の目から大量の涙が溢れ出てきた。
…もう駄目だ。
嫌だ。苦しい…限界だ…。

いくら小学生で自殺を考えるような根性無しの私でも、ここまで弱気になったのはさすがに初めてのことだ。
一体自分の身に何が起きたのか…。
今でもよく分からない。これが鬱ってやつなのか。

ここにいたらまたあそこに戻って働くことになる…。
こんな自分に皆を満足させることなんてできるのか?
早く治して戻らないと皆に心配を掛ける。
迷惑が掛かる。
信用だって無くなる。
信用が無くなれば、誰も自分を心配してくれなくなる…。


次々に押し寄せてくる不安に耐えることができず、私は呆然とした面持ちで借りていた部屋を後にした。