自分が病気になる。

自分がこの世界からいなくなる。


誰も考えたくないことです。


でも

ホントにこれを考えて今準備しないと

ホントに

残された

子ども達が困るのです。


まずは、私の体験から

ある日私の父は心臓に穴が空く疾患にかかりました。


その日

健常の姉と

私は父から話があると呼び出し。

父の病気を知るはずもない姉妹は

定年後の住居問題かな?

新しいマンション購入かな?

なんてキャッキャ楽しくおしゃべりしてました。


そして

父からの心臓の手術で入院、手術。

父子家庭で、父の事は大好きな家族。

健常の次女は結婚もしている。

知的障がいの姉と父の二人暮らし。

近隣に私が住んでいますが、

もう頭の中は真っ白です。

福祉の仕事はしているけど

現場はかりで事務的な事も福祉サービスなんて気にもかけていなかったこの頃の私。


長女の姉の事も気になったけど

私には姉より、父がいなくなってしまうかもしれないことが頭の中をごちゃごちゃにしていました。


入院手術までは、10日もない中

仕事、父の看病、姉の事。

何から手をつけて良いのかわからない状態。

でも

私には、健常の姉がいてくれました。

父の入院先が姉の自宅から近いことで父のバックアップはできるとの事

ホントに心の支えになってくれました。


問題は、長女の姉でした。

父も自分の病気で頭働いていない。

何をすればいいのか親子で全くわからない。

とりあえず、市役所に相談しに行きました。

その頃はまだ、相談支援制度や支援区分制度ができる前の時代。

その為、市役所が頑張ってくれました。

今の時代だと

相談支援にとなります。

でも、相談支援は、相談支援員さんの力量の差が大きいです。

いざ急な問題か起きた時に自分の担当の相談支援か対処できるかは未知です。


幸いにも市役所が緊急ショーㇳを探して下さり、うちは姉のショート利用に踏み切りました。


そこからも大変でした。

まず第一関門はショートの情報提供書。

私も父から引き継いでいないことも多くて書けない所ばかり。

父も初めて見る書類に?マークで答えられないことばかり。

一緒に暮らしていても、急に聞かれるとわからん😖と言うのが父の言い分。

確かに当たり前の日々で過ごしていて、それを相手に伝わるように言語化するのは簡単ではない。


次にショートの荷物。

一度も利用したことないので、買い物から何からホントに一から揃えるのが大変でした。病院の薬もショートなんて想定してないから多めにもらってはいないので通院も予定に入れないといけない。


そして、姉への説明。


初めての場所で初めての長期のお泊り。

もともと、引きこもりがちの姉で父が大好きな姉です。

この時はもう、ほんとに優しさを捨てました。

姉の気持ちなんて寄り添う余裕なんてなかったです。

父が入院するから、お家に誰もいなくなるからこれからお泊りしてもらう。しか言える余裕かなかったです。

本人はホントに怖かったし、不安だったと思います。

見学にすら連れて行くことも出来なかった

いきなり見ず知らずの場所での180度変わる生活が本人にとってどれだけの負担なのかは仕事がらわかってはいたけど、もう私には余裕がなかったのです。


姉の手続き、ショート、父の入院手術のお見舞い。職場には有給でめちゃめちゃ迷惑をかけました。

私の場合ほ障がい者福祉職なので、ある程度理解はありましたが、これが一般の社会人だと会社で居心地悪くなるきょうだいもいると思うのです。


父の入院、手術中、退院後。

ホントに精神面で追い詰められて行きました。

術後も、退院後も体調があまり戻らず、

退院後は、実家に私は泊まり込みましたが、姉のショート利用の終了は迫ってくる。

父の体調は良くない。

この先どうなるのか?

どうするのか?

目の前の事の処理で目一杯の状況で

将来の準備に私が動くことなんてできない中で家族誰にも弱音を吐けずに孤独と不安の中で過ごしたのを覚えています。


姉のショート退所ギリギリで父の体調も安定しました。


そして、数年後自宅て姉と暮らしたい父と、もうあんな日々はこりごりの私で

姉のグループホーム入所問題で大喧嘩。

その末に姉は今グループホームに

私は父の為にゆるりと実家で食事を作りに行っている生活です。


私にとって

父は男手一つで育ててくれた人。

苦しい時にいつも側にいてくれた大切な人。

その人が私より先にこの世界からいなくなることはわかってはいるけど

とても悲しく、怖いことです。

もらった愛情の全ては返せないけど

ても

ほんの少しでも

返したいと思うのです。


今家族は個々に離れた場所で暮らしています。

ても

お互いにお互いを思いあい

支え合い生きている今が私は何よりも幸せです。


あの心臓病の時に

あのまま父がこの世界からいなくなっていたら。

私はきっと後悔ばかりの人生だったと思っています。


そして

何よりも

長女の姉を憎んでいたのではと思うのです。

それは、

姉がいなければ父はもっと自分を大切にてきた。

私も父の側にいることをためらわなかったと思えたから。


親なき後。

きょうだいがお互いの存在を尊重して生きられるように

親御さんが元気なうちに

子ども達が幸せに生きられる未来の道を

ひいてほしいと願うのです。