私には学生時代の友達がほぼいない。


人との距離のとり方

普通を知らない自分が

同級生の話に合わせることが

とても

とても

難しかった。



なので

不登校の時期もあった。

高校も

定時制から通信に変わった。


私の友達って

どこから生まれはじまった?

って考えたら

30代で立ち上げたきょうだい会だった。


淋しくて

孤独で

それを埋める為にはじめた

ファーストペンギンだった。

最初は数人しかいなくて

人と話すのも出来ない頃で

集まっても会話続かなくて

ちと失敗したかもって思ったこともあった(笑)


ファーストペンギンは、どんどん規模が大きくなっていった。

活動も

講演会や勉強会と内容が多様化していった。

友達作りの場から

他のきょうだい会の代表のように

しっかりしないと

頼られる存在でいないと

ってプレッシャーがかかるようになっていった。


年を重ねるうちに

参加者には、年の離れたメンバーが増えていった。


友達ではないけど

子どもや妹弟のいない私には

可愛くて

愛しくて

仕方なかった。


傲慢だったと今は思うの。

そんなことは無理って今はわかるの。

でも

その時は

この子達が

笑って、幸せだと思える日を

1日で早く、多く作りたいと思ってた。


自分が得られなかった

20代。30代の幸せを

彼らが感じてくれることが

私の幸せになってた。

それは自分の過去を

塗替えたいだけの

欲張りで

傲慢な考え

でも

その時には気づくこともなかった。


そして

その奢りと傲慢さが

大切な子達の心を傷つけてしまった。


その頃には、新しいきょうだい会をスタートさせていた。

仲間を傷つけた人が代表を続けてよいのか

迷い、泣く日々が続いた。


それでも

生きにくさで迷ってる仲間からの相談も続いており、

その手を離すことも出来なかった。


2つの対立する気持ち中で 

私は自分も見失いそうになっていった。

そんな私を助けてくれたのが

友達と職場とカウンセラー達。


きょうだいの友達には

やはり会うことは怖くて

そんな時に出会えたのが

元ヤングケアラーの友達。


同じ元ヤングケアラーだけど、

バックヤードも生き方も違う。

でも

発信側だから

自分の分析が出来ている。

彼女達と話す中で

自分のことを見つめ直すことが出来た。


自分のことを

自分が知らないと何も変わりはしない、

私が出来ることは

全ての痛みから守ることでも

身代わりになることでもない。


自分の生き方ついて、

自分なりの答えを見つけられるように手伝い。

受け止め。

認め、

寄り添い続けること。


成長してないと思われるかもだけど

何より

私は笑っていられる場所と時間を作る人でありたい。


これが私の出した答えだった。


先日


ファーストペンギン初期メンバーと

久しぶりの飲み会だった。

長い子では

数年ぶりだったけど

きょうだいの話も

家族の話も

せず

くだらないお馬鹿な話をして

馬鹿みたいに笑って

翌日何話したかも覚えてない。


でも

これが

人が生きる上で必要なこと。


友達は必要ないという人がいるけど

私は友達は人生に必要なものだと思っている。


友達がいて

笑っている時間があることで

例え今しんどくても

こんだけ笑えるならまど行けるなって思える。

一瞬だけでも

頭空っぽにして笑うのは必要な時間。



今私はリオンで


代表として

抱えている物の持ち方を

一緒に考え。


友達として

仲間達とお馬鹿な話をしながら

笑っていられる場所を作りたいと思う。