---------消えた二人---------

 

「ヤッベ、俺、クビになっちまう」

 

亀井先輩の言葉にみんな笑ったけど、こういう時に先陣切って盛り上げそうなショーは、腕組みして笑っていなかった。何か、意外な反応。

 

皆が見守る中、もう一曲のセッションを終えた臼井さんが、急に帰り支度を始めた。ドラムから降りると、最初のシャイな感じが戻ってきて、白桃のような頬が段々赤みを帯びてきた。

 

「今日はちょっと用事があるのでこれで‥」

 

小さな声で呟く。

 

「ウチ来てくれるよね。決定でいい?アッ、ウチって、部活ね、けいおん」

 

「オイ、そんなグイグイ迫んな。怖がってるだろ」

 

長身の部長バンドに囲まれて頷く仔ウサギちゃん。

皆に軽く会釈して、静かに部室を出て行った。

 

「俺も、ちょっと急用で。すみません」

 

あからさまなウソをついて、シイナユウキがすぐ彼女の後を追った。

 

「ちょっとぉ!何あれ」

 

さっきまで彼を囲んでいた取り巻き女子が騒然となった。

 

「ウソー」

 

気づくと、マユが涙目になってる。

 

「マユ!ボンヤリしてないで、行くよ!」

 

同じくシイナ推しのユイに連れられ、マユが二人の後を追った。

 

「マジかよ!」

 

ショーのバンドメンバーの誰だっけ?男子が一人、続けて教室を出て行った。臼井さんのファン?

 

「おーい、お前ら、戻ってこーい!」

 

部長が笑いながら声がけしたけど、全然怒ってないし、追いかけもしない。文化部ってこんなユルユルなの?先輩の命令に絶対服従だった中学の時のバスケ部を思い出し、違いに唖然とした。

 

 

しばらくして、追跡隊の3人が戻ってきた。

表情が、一様に暗い。

 

「なんかねー、約束してたっぽい」

 

ユイが、マユを気遣いながらそっと告げた。

 

「一緒に帰った?」

 

尋ねるアヤに、「まぁ、そういうこと」と、ユイが応える。

 

「マユ‥」

肩を落として俯くマユを励ましたかったけど、言葉が続かない。

 

「大丈夫?」

 

大きな目に涙をいっぱい溜めて、黙ってうんうん頷くマユをハグした。赤ちゃんみたいに体温が高い。泣かせたくない、こんないい子。いっそのこと私がカレシになれたらいいのに。そんなの無理って、わかってるけど、‥守りたい。

 

 

 

 

 

 

---------ヤバイ---------

 

吉田部長と林先輩が、

 

「適当に弾くから入ってみて」

 

と、彼女に声をかける。

 

「ハイ」

 

亀井先輩と入れ替わり、臼井さんがドラムに座り、シンバルやタムタムの角度を少し直した。

慣れている。フェスで対バンの経験あるのかな。「適当に」って‥全然知らない曲だったらどうするの。

 

吉田部長が髪をかき上げ、林先輩に耳打ちした。長身の男子先輩二人が相談する後ろで、ニコニコしてスティックを回してる仔ウサギちゃん。なんだか楽しそう。この子って‥。

 

「んじゃ、ストーンズ演るわー」

 

言い放つと、吉田部長と林先輩が目線を合わせ、カウントをかけると、二人同時に弾き始めた。

 

Ah, この曲知ってる。ダディの車で聴いたんだっけ。

 

♪Bitch - The Rolling Stones - 1971

 

ギターとベースのユニゾンがひと通り続いた後、軽くリズムを取っていた彼女が、途中から入った。パンッと弾けるスネアの音、その瞬間、モノクロ画面からカラーに切り替わったかのように、いきなり目の前が眩しく開け、よくわからないグルーヴに容赦なく引き摺りこまれた。うねるベースと、はっちゃけるギター、いきなり「バンド」になっちゃった。

 

えっ、えっ、えー?

何?この感じ。That's awesome!

 

隣のマユが、キュッと手を握ってきた。

 

「すごいね」

「すごい」

 

お互いに目で語って、いま見ている情景の凄さをシェアした。

 

「あの子ヤバイ」

 

ヤバイ = Fucking Good. 実感を持って、初めて上手く使えた気がした。なんなんだろう。ここのドラムってこんないい音だっけ。切れ味、スパーク、あぁ、上手く言葉に出来ない。でも、何か身体の中から湧き上がって来る様な、ゾクゾクする不思議な感覚。

 

「カッコイイー」

 

絞り出した言葉に、曲が終わって皆んなの「うおぉー」という歓声とため息が被さってきた。自然に起こる拍手。

 

私はまだ始めたばかりだけど、ずっと楽器を長くやってきて鍛錬してる人にはきっと、彼女の凄さがもっと良くわかるんだろう。

 

「サイコー!うち来ない?」

 

「オイ!」

 

ベースとドラムの先輩方がふざけて盛り上がる中、吉田部長と話す彼女を、シイナユウキがジッと見つめていた。あの声がけは彼女のドラムスキルを見込んでのことなのかもしれない。少なくとも1年で、あんなに叩ける子はいない。

 

「シーナくん、ダメ?」

「組もうよぉー」

 

何人かの女子が、それでも果敢にシイナユウキを誘いに行ったけど、見た感じいつもの神対応じゃなかった。なぜなら彼の視線の先には、あの子がいたから。

 

 

 

 

 

---------マユのライバル---------

 

視線に気づいて赤くなった彼女に、部長が話し続ける。

 

「今日、1年はどこでもいいから、取りあえずどっかしらユニット組もうぜの日なんだ。いいとこ来たよ」

 

「ハイ」

 

その時、マユの推しシイナユウキが、腰掛けていた机から降りた。

 

「おーい、ちょっと皆聞いて。まだドラム決まってないとこ…」

 

部長の声がけに被せ気味に、シイナユウキのハスキーな声が響いた。

 

「はーい!ハイッ!俺っ、臼井さんとやりたいです!」

 

必死!どうしたの?人たらし。その言い方って、まるでコクハク‥

 

みんなワッと笑って、一気に和やかになったけど、マユの表情が明らかに曇った。

 

「椎名、ガッつきすぎ」

 

「言い方!ツボる」

 

「やらし~笑」

 

この二人は既にお互い知ってる感じ。仔ウサギちゃんも驚いたようだけど、イヤそうには見えなかった。

 

「マジ?なんなの?」

 

シイナユウキのファンと思われる女子の一部から、不穏な声が。そっか、マユのライバルはいっぱいいるんだ。その中でも、この仔ウサギちゃん、臼井さんは最大のライバルかもしれない。普段の余裕が全然なく、耳まで赤くなったシイナユウキを見て、思った。

 

「落ち着け、椎名。それを言うなら"組みたい"だろ?」

 

部長が笑いを堪えながら諭して、部長バンドの先輩方がヒューと口笛を吹いた。

 

「そうです、ソレ。間違えた」

 

「組んずほぐれつ…、要は絡みたいんだよな?」

 

「林!お前、下ネタ禁止(笑)」

 

部長の言い方で、シモネタはエロティックな事限定の言い回しなんだとわかった。そっか、色々間違って覚えてた。動揺を隠せないシイナユウキの一生懸命さがなんだか可哀想で、シモネタを持ち出した先輩にムカムカした。日本は、子供も行くコンビニで成人向けの雑誌が買えたり、エロティックな事に関して男性が全然悪びれず、なんだか寛容な独特の空気があるのを感じてた。大好きな日本の、唯一嫌なところ。

 

シイナユウキは、すごくフレンドリーだったけどジェントルで、馴れ馴れしい下心みたいなものを感じなかった。多分、そこの加減が絶妙に女子にとっては心地いいんだ。親しげで、且つ大切にされているという感覚。あの感じは‥やっぱりちょっと珍しいかも。もしかしたら帰国子女?

 

デモンストレーションで先輩二人と仔ウサギ・臼井さんが演奏する流れになり、皆で興味しんしんで見守った。

 

「ん?」

マユが、腕を組んできた。

 

「めっちゃ上手いんだってー。楽しみ」

言いながら、マユの表情はなんとなく暗かった。あったかい手の感触。

 

どうか、神さま。

守ってください。マユの恋。