当店の店名でもある「NONNON」ですが、もとは現在の我が家で初めて向かいいれた
愛犬の名前で、当店スタートのきっかけをも作った忘れられない大切な愛犬と
なりました。
*テラスの大改修、朽ち果てていた藤棚、ヒサシ全ての修理を完了しました
ペット用品のプロ営業マンだったころ、あるお得意様へ集金に伺う際、繁殖場まで
向かう必要があり、それでも、集金で頂けないことも多々あり、そんな時に出会い、
私によくなついてくれた愛犬でもありました。一度、高額にて販売され、残念な姿にて
放置され、見かねたその先生が引き取り、繁殖犬として静かに暮らしていました。
栄養状態も悪く、前飼い主がよく吠えると声帯も取られ、フェラリア予防もされておらず
後にこの症状とともにそれが短命の原因ともなりました。
シェルティーでもめずらしいブルーマール(大理石模様)の毛色と、マーブルの美しい
ブルーの瞳に親近感を感じましたが、その時には迎え入れるなど想像もしていませんでした。
このブログを見ていたら殺されそうですが、あっち系(オ●マ)の先生で詐欺師の見本のような
人で絶妙な口のうまさと、怪しいオーラを炸裂させていましたが、ドッグショーなどでは犬を
見る目だけは「ほんまもん」であり、あらゆる意味でのカリスマでした。
修行時代はそちらのお店でも修行させていただき、スタッフの方からたくさんを学びました。
修行中には十代の若いスタッフからも指導、「このおっさん残念で使えん」という顔で
見られ、(旧講師時代には学生たちにも話しました)私のカットモデルにと連れてこられていた
愛犬が のんのんでもありました。初めてのカット練習に、残念な周りからの冷たい視線と
厳しい叱責も、「諦めた方がいいぞ」という先生からの優しい地獄のような指摘に
へこみ、ガード下でうなだれている私を のんのんは励ましてくれました。
悪夢のような修行を終え、先生にお礼の挨拶をしたときに、「お店開くんならお祝いあげんなんの~」
と言われ、とっさに 「のんのんがほしい」と伝え、快く譲ってくれました。
先生より、すでにミクロフェラリアがおり、繁殖し一番いい子犬を返せと約束をし、果たしました。
のんのんは当家にて21頭の子犬を産み育て上げました。当家の苦しい家計も支えてくれ
繁殖では業界のしがらみにもまれ、貸しを作ることにもなり、講師としての道も開けました。
ここでも、さんざん騙されたその先生の悪口を言わない私に、当時も通じるものがあったのか
廻りからも「あの先生から取り返したのはあんただけや」と言われ、現在も病症にても
活動を続けるその先生には近づかず、遠くから噂のみで見守っている私ですが、
今は、本心から感謝しています。
「おかげさまで30年ブログ」の最後に、のんのんが私の背中を押してくれたエピソードをお話しするつもりですが繊細で確認がとれない場面もあり今も迷っています。
学生たちが食い入るように私の話を聞いてくれたのは、こういう実話の部分があったからと
学生たちはNONNONの店名が愛犬の名前だけでない事を知っており、のんのんの
写真も家族写真としては存在していますが、皆さんは現在のお店を見て想像していただければと
思い現在も当店で生き続ける のんのんの魂に感謝と30年ありがとうです。
にゃんこせんせい
個性的で強烈なこの業界で、今回話した先生のような方は多数おり、そんな中でもまれながらも
染まることがなかったのは当店のスタッフ(元学生)や当時の学生たちの厳しい目があり、正直に
ここまだやってこれたのも学生たちのおかげと感じてなりません。
私は講師時代にも学生たちには華やかな薄っぺらな部分だけではなく、すべてを正直に伝え
それが、強い生存力となったのだと信じています。
この先生の父親とも永年交流があり、心配する息子さん?のことを何度も頼まれ、古い屋敷にて
一人暮らしをする先生の父親を訪ねると貴重な高級酒などを多数いただきました。
*飲まずに保存していれば現在¥7桁となっていたものもあり、コレクションとしてキモイやつに
自慢眺められるより、「飲んでなんぼですね」・・ちょっと残念。
その後に口伝えにて訃報を聞き、遠方から手を合わせ涙しました。
「大丈夫ですよ、現在も活躍しており、天国からも監視と見守ってあげてくださいね」