月という最大の心理的ブロック

わたしのなかの
最大の心理的ブロックは

結論、月であったとおもう。

12室の月であったとおもう。

マドモアゼル愛先生がおっしゃるには、
12室の月の出方として、
12室は隠れたもの、隠れた部屋、
と言われているが、
本当の自分を隠したくなるということが挙げられるそうだ。
なぜだか本当の自分を隠したがる傾向にあり
対人関係で
自分にベールをかけ、
偽りの自己を演じがちだという。
そのため、
対人面では非常に疲労してしまう。
恋人にも、家族にも、友達にも内緒で
小さな自分だけの部屋をもつと安心するが、
だからといって、いつまでも隠れさせてはもらえない。
ときどき自発的に出て行くか
さもなければ半ば無理やりのように、外へ出させられる。

めちゃくちゃ当たっている。
面白いので、
月星座が分かる方は
ドキン、ズキンと
するものはあるかもわかりませんが、是非見てみてください。


たしかにわたしは自分を隠そうとする。
隠者のように自粛でなくても
家に居続けることは何の苦でもないし、そういう時間をむしろすごく必要としている。
定期的に人にあまり会わない期間がある。

誰かがときどきわたしを誘って引っ張り出してくれたから、
どうにかこうして少ないが、外との接点を失わずいられるようなきがする。

そうした1人の時間が必要ということの利点は
瞑想などして深まること。
自分が次に何をすべきなのか
インスピレーションをうけること。
エネルギーを充電すること。
そしてなによりも、
カメレオンのように他の人の
エネルギーに、無意識のうちに慣れ親しんだあと、
純粋な自分というエネルギーを
取り戻すことに割かれる。
外で吸収してきたものを
うまく活用するには
整理する時間がいるし、
いまの自分に必要無いものは
速やかに手放し
流していく必要がある。
とても大切なプロセスだ。

いろいろなものを自分のなかに取り込んでは、お片付けしないままでいると
やがて色んな概念や想念、
エネルギーが混在し
自分の本体自体を見失ってしまう。
せっかくもって生まれた
自分自身の本質のエネルギーは
モヤがかかったように
見えなくなってしまう。

迷子になったわたしは
泣き出したり
不安になったりした。
漠然として理由のわからない不安だ。

わたしはいつからか
それに気がつき
無意識のうちに恐れていたのだとおもう。
自分の領域に浸食してくる他のエネルギーによって、自分と離れてしまうことが恐かった。

そうして自分を浄化できるような方法を探したりしているうちに
他者をついには遠ざけるようになった。

自分以外の人や、動物、すべてのもののエネルギーは
無限な学びをくれる。
人生を彩り
本当の喜びをくれる。
なにより
本当は
他の人、がいなければ
自分の本質をしることは不可能だ。

わたしは恐れのあまり、
それさえ放棄しようとしていた。
自分自身を本当の意味で
理解すること
それさえも。

不思議なのは、恐れが
気がつかないうちに大きく膨らんでいることだ。

敏感な自分自身の感受性に
疲れてしまっていたかもしれない。

壁をつくり
境界線を区切る作業に
無意識のうちに徹するようになった。
他人の気持ちを感じないようにした結果、
わたしは他人のきもちがわからなくなってしまった。

そのことに自分でも全く気がついていなかった。
どんなサインやメッセージをうけとっていたとしても、
それは歪んで解釈され、
境界を守りたいという欲求が
お望みどおり
最優先されたために、
開こうとしても今度は
開き方がわからなくなっていた。


パートナーはこのブロックに気がつき散々警告してくれていた。

でも
わたしはずっと
無視し続けた。
だって恐い。
わたしで無いものを受け取ったら
わたしがわたしで無くなってしまう。
わたしがわからなくなってしまうことが1番恐かった。
なにか大切なものを守らなければならない。
そうした心理もあったとおもう。
たとえば自分の身体に芽生えた命を守りたいという母性的な心理。
それについて
行きすぎた過保護な面もまた、あったのだと思う。
そうして、いつしか広い大海原にポツンとたった一人。
静寂とともに寂しさが浸食した。

けれど今更もう、ひらきかたがわからなくなっていた。

そうして
大切なパートナーとも
愛や情緒的な交流を
深いところでは拒みつづけていた
ために

彼は
愛に飢え
ついには爆発してしまった。


愛を受け取らず、
感情面でもやりとりをせず、
表面的なつきあいを続行しつづけてきたわたしの関わり方に、
我慢の限界がきた、という。


あろうことかわたしは、
表面的な付き合いのみで
深い情緒的な関係を築け無いことに
虚無感を抱いているのはわたしだと思っていた。


つまり、
わたしは自分のシャドーを
彼に投影し
歪んだ自分の姿を見ていたのだ。


そうして、
他の人の感情やエネルギーをよく吸収し、読み取り
きもちを察して
心を柔らかく整え、
流して行く。
という、
わたしにとって最大の資質を自分自身で封印してしまっていた。
自分で1番望んでいることを禁じていたのだ。

これは恐れというものの
本当の恐ろしさだ。

かれはこれを解放してくれた。

彼が去るといってようやく気がついた。
わたしにも、誰かのエネルギーが
必要なのだと教えてくれた。
相手を知ろうとせずに
自分を分かるなんて無理だと教えてくれた。

 
そのとおりに、
彼と離れる時は
下半身のエネルギーがとくに
薄くなり、足元が冷えた。
不思議だがそうした体の感覚によって実感してきた。

1人の時間は必要とするけれど、
そういうわけにもいかないと
体で感じた。


同時期に分かったことがある。
12室や魚座の性質として
ワンネス、つまり全てが一つとしてあると言う意識なので、
エネルギーの侵入なり混合が
自動で常に行われている。
それを納得した上で、
では
そのなかで、自分を見失わずに
いる方法はなにか、
ということが課題になった。
それが一人で自分とじっくり向き合って過ごし、日記を書き、めいそうしたりして自分の本質に触れ合う時間を増やしていこうということをやっていった。
つまり陰を深めた。
ウォルナットやセラトー、クラブアップルなどのフラワーエッセンスがとくに有効だったし、
わたしは12室の月は
牡牛座にあるため、
心地よい部屋で一人過ごす時間や
セルフマッサージ、
自然のなかで過ごすことが
月の不安を和らげるのに役立った。
自然の贈り物という意味では
薬草茶やハーブティーが
神経を沈め、癒してくれた。
(これは自然のもの牡牛座♉️
をブレンドする12室♓️
…ということはアロマやハーブティーの配合、わたしも得意かもしれない ただ注意はこれが月であること。そればかりをやるのは禁物だ。あくまでもわたしの太陽は冥王星に支配を受けた♏️中の♏️だ。儀式や魔法の側面の探究が求められている。そことのバランスが不可欠だ
そういう意味ではわたしは二つの間のバランスを取るというチャートにみた性質がいかに重要かわかる。太陽月はオポジションで
金星火星はおーぶを広くとって合。それを9室の木星が統括する。知性でそれらを束ね、統合させてゆく)
月が何星座にあるかをしらなくても
これは本人が心安らぎ、求め、心空っぽにできることが何か、知っていることが多いと思う。
そのようにして自分を慰め、癒しながら、自分を育みながら
少しずつ、
補助輪を外していくように
再び外側との交流を自身に許可していった。
案外時間がかかった。
一年半から、2年ぐらいを要したと思う。

無意識に他からの影響に染まり切り
あたかもそれが自分のように浸食し一体となってしまうことが恐怖であったけれど、
その標準機能を自分にまずは許すこと。
そこから得られる膨大な情報にアクセス出来るとはものすごい価値がある。
願っても与えられるものではないのかもしれない。
それを封印するとは自分と宇宙の秩序への冒涜である。
エネルギーが停滞するのも無理ない。
その中にはネガティブなものもあれば
ポジティブなものもある。 
利点を理解して
そうゆうもんだと、
いったん諦めること。
諦めた上で精査する時間をもって
情報を振り分ける
いらないものは手放しつづける。
デトックスしやすい体、みたいにエネルギーの状態とか心、感情も、流し易く方向付けることが可能だと思う。


もう一つできることは
出かける場所を選択すること。
あまりに自分と離れたエネルギーの場所に出向けば当然ズレはおおきいのだから、
自分が自分でいられる自信がないような場所には
そもそも行かないようにしてもいいとおもう。
それがむしろ必要なときもあるが
毎日がチャレンジでは疲れてしまう。
なので、基本的に
日常を行き来する場所は
じぶんが受け取ってかまわないか、
また逆にエネルギーを交換しあいたい場所にいくようにすると疲れにくくはなるとおもう。
そしてその場所で
過ごすときも
じぶんが自分のままでいることをできるだけ自分に許可することだ。
何者かが混在した謎のキャラクターを演じ、防御することによって疲れてしまうのだから、
自分が安心して素を晒せるばしょを見つけていくのもとても大事だとおもう。

いつもそこへいくとぐったりしてしまうとか、悲しくなるとか、重たいという場所をわざわざ選ぶことはないとおもう。

自分のペースや
エネルギーをじぶんでしっておくというのも大切。
(もっといえば、
どんな自分が自分らしいか、とかの理想を掲げておくのもよさそう)
これは瞑想すれば本来の自分のエネルギーというのは体感してわかるとおもうし、
できればそのときの状態のまま
いつづけられればすべての瞬間を静寂で平穏で愛で存在することができる。
そうしたいとおもったら、
わたしの場合かなり動きはゆっくりになる。
のんびりのノンと呼ばれた
わたしらしい。
それがなにも付属品がついていないノーマルのノンの本来の姿なのだろう。
心をおちつかせ、
ゆっくりな呼吸とともに流れるような動きでお皿をあらったり
掃除をしたりできたら順調。

もう一つは、
自分にありのままでその場に存在させることに集中してみる。

そうすると
こんどは逆に
多くを与えられることにきがついてくる。自分の本質を
他の人に見せる機会を与えることができる。他の人が
何かわたしを通して見えるものを学ぶ機会を与えることができる。

しかもそれが正直最強の防衛だと思う。
逃げも隠れもしない、これがわたしですよと両手を上げて
わたしはあなたを傷つけません。
そう宣言して
丸腰で
相手と向かいあう。
その姿勢が
あなたが他の人の心に侵入することを
初めて許してくれる。
あなたの言葉は
相手のハートの鍵を開け、
本当の奉仕することができる。

脆い月と言われる12室の最大の防御は、あらゆるものの浸食したカオスのなかから自分を探し、自分を知り、それをありのまま与えるということなのかもしれない。
女性のグル、サイマーがおっしゃった。「皆さんに、わたしから与えさせてください」その意味が、ようやくわかった。

そしてその気づきに導いてくれたのは
わたしの月にコンジャクトする土星をもつ、彼だった。

さらに
海王星、集合無意識の図書館であるアカシックと
♉️🌏のアカシックに
アクセスするきっかけとなる人物をつないでくれたのも彼だ。

アカシャでみたビジョンが
わたしのブロック解放の要となり
魂からくる感情の大浄化がおこった。
最終的な念押しのように
解放前の世界の扉を塞いだ。
これで二度と以前の世界に戻ることはない。
海王星は癒しと関連するが
その真髄を垣間見た。

わたしは長い間心底癒しを求めていて、本当の自分を求めていた。
その両方が
この海王星司る12室の月の力によってもたらされたことを実感している。

それもこの海王星は冥王星とセキスタイルであるから、
本質的に、究極的に、というのが加わる。
わたしは本質的に自分を知り
究極的な癒しを体験することができた。
(そしてそこは両極にあるものを統合しやがて一つに束ねた場所であると思う)



そのビジョンは今後もわたしに
連れ添って軌道を正しつづけてくれるだろう。
(オポジションの月と太陽の星座は
♉️と♏️である、軌道修正ラインである)