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㈰ その後の被災地
4月11日で被災してから一カ月経ちました。
何をして過ごしていたかが思い出せないほど、忙しく、悲しく、嬉しいこともあり過ごしていました。
桜の蕾が膨らんでもそれを喜べない自分に驚きつつも、毎日生きることに忙しい日々です。
仙台市内は、午後6時には店が閉まりますが、流通は八割方回復しています。
ただ、節電で夜は依然よりも暗い状態です。
先日の震度6強の余震で、電車が運休したり、新幹線も5月上旬に運航予定、バスは休日のダイヤで走っていたり、地下鉄は一部でしか運航しておらず、出勤退勤にも残業したりなどができないため、従業員が早めに帰宅せざる負えない状態です。
それでも、通常の生活が戻ってきました。
コンビニも品薄ではありますが営業を開始し、大手スーパーは品物もそろい始めています。
生活必需品の購入がメインなので、贅沢品はほぼ売れていないですね。あたりまえですが。
露天の弁当販売なども終了し、なんとか通常の生活をしているフリはできていますが、未だ我が家はガスが届かず、給水を必要としている家庭も多いです。
今の自分たちは、復旧が必要なのか、復興が必要なのか、なにを復旧・復興したら良いのかが迷うところもあり、また、頻繁に余震があり毎日緊張を強いられていて、頑張ろうと思う気持ちが萎えてしまいます。どんなに頑張ってもまた地震がくるその繰り返し。私たちが何かしたというのでしょうか?
どうしてここまで、辛いことがつづくのでしょうか?
泣きたくても辛くても、みんな同じ気持ちだから、笑顔で明るく楽しく過ごそうとしてはいますが、さすがに一か月も経つと、どんなに気持ちが前向きな人たちも次第に笑顔や感動する気持ちもなくなっていきます。
自分を奮い立たせて日々を過ごしていますが、生きるということは本当に難しいことだと感じました。
㈪ 被災地の状況
何キロも流された車.
職場近くの閑上(ゆりあげ)地区に足を運びました。
この場所で知り合いが数名犠牲になり、しっかり現場を見て私なりに納得し前に進むためです。
青空の下は瓦礫の山。今まで水がないところに沼のように広大な水たまりができ、コンビニに船が突っ込んでいたり、田んぼに車や布団、タンスなどの瓦礫と化した生活用品が津波に流されそのままになっています。
話によると、小学校の3階にいたら、その高さと同じ高さの津波が見えたとのことです。
車に乗ったまま流された人、車から降り逃げている途中で巻き込まれた人、つかまえていた家族の手を離してしまい家族を失った人、津波がきたことすら知らずに巻き込まれた人・・・私は、放送されているテレビの中で亡くなった友人の家が流れていく様を見ました。
以前、その土地には生活があり、家族がありました。
それが一瞬にして無くなり、海岸線が一望できるようになった土地には、生活が全くありません。
これをどのように頑張って復興していけるのでしょう。
瓦礫の撤去も進まず、避難所での生活を余議なくされている方も多く、車も流され職場も無くしています。
自分の頑張る気持ちだけでは復興はできないのです。
最低限自分の生活復興し、家で生活をし、仕事をし、学校に通うという普通の生活のペースを取り戻し、地域や職場の復興していくことが必要です。
布団などすべてが波に。
また、国の補助がどこまで出るのか、被災地から避難した人々がいつ故郷に戻れるのかなど、不安はつきないですが、きっといつか以前よりも良い環境になり生活していけることが私たちの希望であり、そうしなければならないという使命感のようなものもあります。
津波の破壊力のすごさ。
どこまで頑張ればいいのか私たちにもわかりませんが、ゴールが見えない道を模索しながら進むことしか今はできません。
未来はきっとあるので。
福島では原発事故があり、その周辺の方々のお気持ちを考えると胸が締め付けられます。
自衛隊の方々、消防関係者のレスキューの方々の報道を見るたびに、素晴らしい活躍と私達を守るために必死に努力している姿に勇気をもらいます。
現地で仕事をされている方々は、被爆することも承知でお仕事をされているとか。
その強い気持ちはどこからくるのでしょう。
人のために何かをしたい気持ちはあっても、命をかけてとなるとなかなかできないものです。
家族のこと自分のことを考えてしまうと、危険を伴うことに自分が立ち会うことなんて考えられるのでしょうか?
それを、理解し現地に送り込むご家族の気持ち、ニュースを見ながら信じていても不安になるその恐怖。
家族の絆や心の強さに感動しています。
本当にありがとうございます。
守ってくれる人がいるから、私達は生活していけること痛感しました。
物資搬入で自衛隊の方々が宮城県に入ってきてくれています。
慣れない土地の中、また、被災地に向かう途中も瓦礫の山です。
ご苦労も多いと思いますが、被災者のために努力されている姿に頭が下がります。
被災者が入るための簡易的な風呂を作ってくれたり、声をかけてくれたりと住民達の地震への恐怖を取り除いてくれています。
また、各県から来てくれるボランティアの方々、そして、被害の少ない地区の方々のボランティアの方々。
ボランティアの方々は全て自費で、自分の宿と食料を確保してくるようにと言われているそうです。
小さい子ども達も水を運んだり、食事を渡したりと、自分ができることを一生懸命に取り組んでいます。
子ども達も被災し、家をなくした子両親が行方不明だったり、逃げる途中で津波で手が離れて両親と離れてしまった子ども達も大勢避難所を手伝っています。
大人がしっかりと支え、辛さを乗り越えるようより添い、きっと心の中で何かが芽生え、大きくなったときに立派な大人になってくれることでしょう。
私達を守ってくれてありがとうございます。
皆さんの勇気に感謝するとともに、私達も人に勇気を与えられるよう頑張りたいと思いました。
夜の被災地は雨、間もなく新しい週が始まります。
被災地にも一人でも多くの笑顔が戻るように心から祈ります。
地震のあった11日、焚き火をしながら暖をとっていた私達は、暗闇の中、停電で明かりの消えた夜空にたくさんの星を見ました。流れ星も何個か見つけました。
とてもきれいだねと話したのが10日前。
あの時は、数分ごとの余震のたびにみんなで寄り添い、不安な夜を後輩達と過ごしました。
次回、夜空を見るときは、幸せな気持ちで見上げたいなと思います。
自衛隊の方々、消防関係者のレスキューの方々の報道を見るたびに、素晴らしい活躍と私達を守るために必死に努力している姿に勇気をもらいます。
現地で仕事をされている方々は、被爆することも承知でお仕事をされているとか。
その強い気持ちはどこからくるのでしょう。
人のために何かをしたい気持ちはあっても、命をかけてとなるとなかなかできないものです。
家族のこと自分のことを考えてしまうと、危険を伴うことに自分が立ち会うことなんて考えられるのでしょうか?
それを、理解し現地に送り込むご家族の気持ち、ニュースを見ながら信じていても不安になるその恐怖。
家族の絆や心の強さに感動しています。
本当にありがとうございます。
守ってくれる人がいるから、私達は生活していけること痛感しました。
物資搬入で自衛隊の方々が宮城県に入ってきてくれています。
慣れない土地の中、また、被災地に向かう途中も瓦礫の山です。
ご苦労も多いと思いますが、被災者のために努力されている姿に頭が下がります。
被災者が入るための簡易的な風呂を作ってくれたり、声をかけてくれたりと住民達の地震への恐怖を取り除いてくれています。
また、各県から来てくれるボランティアの方々、そして、被害の少ない地区の方々のボランティアの方々。
ボランティアの方々は全て自費で、自分の宿と食料を確保してくるようにと言われているそうです。
小さい子ども達も水を運んだり、食事を渡したりと、自分ができることを一生懸命に取り組んでいます。
子ども達も被災し、家をなくした子両親が行方不明だったり、逃げる途中で津波で手が離れて両親と離れてしまった子ども達も大勢避難所を手伝っています。
大人がしっかりと支え、辛さを乗り越えるようより添い、きっと心の中で何かが芽生え、大きくなったときに立派な大人になってくれることでしょう。
私達を守ってくれてありがとうございます。
皆さんの勇気に感謝するとともに、私達も人に勇気を与えられるよう頑張りたいと思いました。
夜の被災地は雨、間もなく新しい週が始まります。
被災地にも一人でも多くの笑顔が戻るように心から祈ります。
地震のあった11日、焚き火をしながら暖をとっていた私達は、暗闇の中、停電で明かりの消えた夜空にたくさんの星を見ました。流れ星も何個か見つけました。
とてもきれいだねと話したのが10日前。
あの時は、数分ごとの余震のたびにみんなで寄り添い、不安な夜を後輩達と過ごしました。
次回、夜空を見るときは、幸せな気持ちで見上げたいなと思います。



