震災から10日目。買出しに行きました。


被災直後よりは流通しているのかとも思いますが、やはりどこも行列です。
今回は、同じように被災しているのに店を開いてくれた方々のことを綴ります。


自転車のタイヤがパンクしました。


近所の自転車屋に修理に行き、店の様子をみていました。


そこには、20台近い修理待ちの自転車と、家族総出で修理をしている自転車屋の店主が。


ガソリンがなく自転車の需要が増え、地震後より自転車の販売台数が増え、店には販売できる自転車は全くありません。


修理を頼むと快く受けてくれ、後輪車輪の交換と言われました。修理の様子を見ながらふと店主の手を見ると爪の先が真っ黒。


地震後の数日間で何台の自転車を修理したのでしょう。


自転車が売れているのにもかかわらず、「被災して自転車売れるなんて嬉しくない」という店主は足も引きずっていました。


どうしたのかを尋ねる私に店主は笑顔で「働きすぎ。足がつりやすくなったんだ。大丈夫だよ。はい修理完了。520円」と。こんなに一生懸命交換してくれて520円???


もう少し値段あげたら?大変なんだからと言うと「こんなときに高い金はとれないんだよ」とまたもや笑顔。



心がほっこりしました。



タイヤ交換した自転車で市内へ買出しに行きました。



東日本大震災レポート-店の前には行列が・・・。
店の前には行列が・・・。



もちろん街中は行列。





東日本大震災レポート-3月20日 かつては賑やかだった飲み屋街
3月20日 かつては賑やかだった飲み屋街

東日本大震災レポート-若者が露店で販売中
3月20日 若者が露店で販売中

ちょっと離れた飲み屋街に入ってみました。
そこで見たものは、普段は居酒屋やカフェバーで働く若者が、店の倉庫から食品を出してきて路上で販売していました。もちろん店でメニューにあるものも多いのですが、それでお弁当を作ってワンコインで販売したり、みんなに行き渡るように小分けにして販売したりと工夫していました。


自分達で路上ライブをし、その後無料で炊き出しをする若者もいました。



また、ジャズフェスの町なので、様々なバンドが路上でパフォーマンスをしていたりと、被災で傷ついた被災者の心を音楽で癒そうとしていました。


あるデパートで警備をしていた方に「大変ですね。でも店を開けてくれてみんな喜んでいますよ」と話しかけたら、その方は「自分は津波で家が流されたんだ。家族も失った。だから、こうやって店を開けるのは同じ境遇の人たちに少しでも美味しいものを食べて元気になってほしいんだよね。俺も頑張るからさ」と話していました。



店を開けてくれている方も、自分達も食料欲しいはずなのにと心からありがたさを感じました。



町にあるよろずやさん。みなさんの町にも小さなお店があるかと思いますが、今回は大型店もですがよろずやさんも素晴らしかったです。



おじさんおばさんが経営していることが多いのですが、朝早くから仕入れに行き、そこで本当に必要なものを小さなワゴン車で準備してきてくれる。



だから一つしかない品物もあり(仕入れのときにそれが一つしかなかったんですね)、ひとつひとつの品物を丁寧に扱い、何かしら世間話をして会計をしてくれる。



値段も誠実で、大型店が多いから、よろずやにはほとんど出向かなかった私も、地域の小さな店を大切にしてあげないとと感じました。



小さな店も私達の生活に密着させて、大型店とあわせて利用していくことが大切なんだなと感じました。

買出しだけでも、感謝の気持ちやありがとうという気持ちが自然と出てくること、普段もそうなのですが、心のそこからの「ありがとう」を言ったのは初めてかもれません。




今回で二度目の震災経験。やはり何か大切なものを教えてくれています。

東日本大震災レポート-3月18日 雪です
外は雪です。


原発のこともあり、爆発後に雨が降り翌日は雪。化学物質が多く含まれているのではないかと皆不安に思っています。


なかなか春がきません。
津波を体験した友達の話を書きます。


彼女の住む地区は、漁港があり新鮮な魚があがる場所です。

景色もよく、サーフィンなどで若者も集まる海岸です。

最近は住宅地も増えました。

静かで海鮮物が豊かな町。

地震後に津波が来ると知った友達は、隣の市に勤務していたため、保育園に預けている娘を迎えに行くため慌てて車を出しました。



子どもがいるはずの保育所に迎えに行くともぬけの殻。



近くの人に聞いたら「避難所の小学校に逃げた」とのこと。


友達は来るまで避難所に入り、小学校の校庭に車を駐車し扉を開けて振り向くと、すぐ後ろに津波が。
慌てて校庭を走り昇降口から二階にあがる階段を登りはじめた時には、津波は一階部分に到達。
とにかく逃げなくてはと階段を登り続けたそうです。


一階部分は天井まで水がきたとのこと。



友達は「あと五分会社を出るのが遅かったら私は巻き込まれていた」と。



勿論家は流され、翌日見に行ったら家の土台しかなかったと。
新築購入した家と家族の思い出がすべて無くなったが、家族が無事でそれだけでいいと話しています。



私は、津波で恩師や仕事の関係者、友人達を亡くしました。


でも、不思議と涙が出ず逆に「亡くなった方に恥じないように生きなければ」と感じました。


本当に悲しいときには涙はでないのですね。


涙を出す暇もないということもあるのでしょうか。生きるために必死に数日間過ごしました。


避難所の方々が話しことをラジオで聞くと、家も流され全て無くしているのに、遠くに住む家族や親戚へのメッセージで「私は元気です。みなさんに支えられて頑張っています。心配しないでくださいね」というような内容で話すんです。


自分が大変ひどい状態になっているのに、私は大丈夫と言えるその姿に、私は美しささえ感じました。




日本人は捨てたもんじゃないと。




もちろん、被災した場所で火事場泥棒のようなものはありますが、基本的に律儀で秩序正しい日本人は、被災後でもコンビニに列を作り並び、一つのものを分けて食べる、店のガラスを割って中の物を取り出すという暴動もありません。


改めて、日本人の素晴らしさに気付くことができました。


今後の東北は、その日本人によって復興していくことができるでしょう。


「頑張ろう」ではなく「みんなで頑張ろう」なんです。


相手を思いやる大切さ、身を削り助けるその心の強さが被災地では生きています。
その後の宮城県は、原発や被災者数はニュースで報道されているので、私たちの生活を書きます。

被災直後は、ライフラインも少しずつ復旧していますが、全部回復してはおらず、10日経った今も我が家はガスがないです。三ヵ月後に復旧とのこと。

もちろん風呂には入れず、でも、もっと被害が大きい地区にしたら、歪んでいても家に帰れるということは幸せなので気にはなりません。

被害の大きな地区は近くの家が流されなかった家がお風呂を提供していて何十人もそのお宅に入りにいっています。市ガスは完全にダメなんですが、オール電化の住宅やプロパンガスは強いですね。

食べ物や飲み物などの食材は、手に入りにくいです。


東日本大震災レポート-お店の食料を販売して義援金を集めています
3月19日 お店の食料を販売して義援金を集めています


東日本大震災レポート-3月19日 店の食料を販売し義援金とする店が多い
3月19日 店の食料を販売し義援金とする店が多い

もちろん仙台市内はわずかな食料が手に入ると聞くと、その店には長蛇の列。
でも、一人三点までなど個数制限があり、勿論、贅沢品(肉・魚などの生鮮食品)はなく、乳製品の類もありません。

あるのは大根・キャベツ・たまねぎ、じゃがいもなどの根菜や缶詰などで、カップ麺などは最初に並んだ方が購入し、後半に並んでいる人々には手に入りません。


それでも一人三点でも手に入るのがありがたいです。


電気が通じたので、ご飯を炊くことができるようになり、ほぼご飯に缶詰とかのりなどの軽い食事をしています。
お米も大切で、炊けるからといって沢山食べることはしていません。


余震で震度4や5が未だ続いており、今後のことを考えると食べ物を残しておかないと心配なのです。


また、もっとひどい被害の地区の方のことを考えると、被災地には違いない仙台でも可能な限り、節水・節電・買い控えをしています。


私たちより大変な方やお年寄りや小さな子ども達に、電気や水、食べ物などが流通していかなければならないからです。


トイレットペーパーが一袋あれば、みんなで一個ずつ購入しようとか、並んでいる列にお年寄りや小さな子ども連れがいたら、自分の前に入れてあげるなど、知らない方々同士助け合っている姿もみます。


被災地の我々が可能な限り、努力し隣近所助け合って物資を分け合って暮らしています。
それが一握りの味噌ということもありました。


また、味噌と米を交換してくれる店もあり(物々交換ですね)、人の優しさがとても嬉しく感じることが多い10日間でした。



被災地では、石油・ガソリン・食べ物・赤ちゃんのミルク、オムツが不足しています。


そのほかにも、ホッカイロや下着類、毛布、暖かい衣類などが不足しています。


お年寄りのホームや病院での食事がおにぎり一個。お年寄りこそしっかり食べないとならないのに。


ガソリンが無く物資の搬入や病院の転院ができなかったり、一人暮らしの老人の家庭にヘルパーさんが訪問できなかったり・・・・


被害がひどい地区に家族が行きたくてもガソリンが無くて行けません。

私は普段は車で出勤していますが、ガソリンを入れようとは思いません。

少しでも私の分が必要な方に入ればと思い、被災後の出勤は2時間かけて自転車を動かしています。



被災地以外の場所では買占めがあるとニュースで見ました。



その購入した物資は今必要ですか?


この数日間で食べる物ですか?


私たち被災地の人間は今食べる物が無いんです。
子ども達も今飲むミルクが無いんです。


地震後すぐに出産した従姉妹は産んですぐ退院させられました。
病院がいっぱいだからです。


水もガスもない中、赤ちゃんを育てています。


地震後、命があるだけ良かったとみんな口を揃えて言いました。
でも今は命が亡くなりそうです。



どうぞ、皆様のご協力で被災した各県の皆様に物資をまわしてください。