こんにちは、
今日もご訪問頂きありがとうございます。
書斎を断捨離していた時の事です。
捨てようか残そうか考えあぐねている私の様子をみた娘が
『本当に必要なものなら手放しても、また巡り合う』と言うのです。
確かに。
「そうだよね。素晴らしい♪♪良い事言うね~」
流石私の娘とばかりに褒め称え、
その後のお掃除はスピードが加速しました。
人とのご縁もまたその通り・・・
夫の心がまだ旅していた頃、
私はいつも「本当にご縁のある相手なら再び巡り合うはずよ・・」
と自分の心とお話ししていました。
私は今この苦しみから何を気付かなきゃいけないの?
どんな意味があってこの試練が課せられているの?
といつも考えていました。
私は私の課題を乗り越えよう。
いま余所見をしている主人は本当は何と向き合わなければならないの??
逃げている主人に気付かせる事は
私の課題ではなく、主人の課題。。。。。
気付けないのなら私には必要ないご縁ということ。
主人が私を必要としていないのではなく、
私の魂がきっと主人を必要としていないってことなんだわ。。。。。。
全ては天の思し召すままに。。。。。。。
だから、愛を持って手放そう・・・・・
私の愛が残っているうちに気付いてね。そんな心境でした。
単身赴任や、別居中の相談者様から、離れている夫にどうやって愛を与えるのですか?
とよく質問されます。
私はむしろ手を抜いていました。
今受け取る気のない主人に力を入れてもスタミナが切れるからや~め~た。
それより自分磨きをしようと思っていました。
でもね。帰ってきた時には主人を甘やかせるだけ甘やかせ、何でも主人中心に合わせ居心地の良い居場所づくりを心がけました。
離れている時には、いつも気に掛けていて忘れていない事を伝える為に、返信を求めない短メールを送る程度。寂しい。。。とか構って~は一切封印しました。
でも、そんな事が出来たのは離れていたからこそと思うのです。毎日帰ってくる夫に同じ事ができたか?同じモチベージョンでいられたか?はわかりません。
夫が単身赴任になった時には、私がいったい何をしたというの?と天を怨みました。でも今は嫉妬に苦しむ姿や、醜態を見せずにすんだのは修復の為には良かったのだと思うのです。
全ては天の思し召しの通りだったのだと・・・・・・起こる出来事は全て必然、長い人生のなかで悪い出来事なんて起こらないのです。全てはいいことに繋がります。
読んで下さりありがとうございました。今日はなんだか心のまま回想しちゃいました(・・。)ゞ