農業全書 025
 

写真は2/24に安芸高田市で友人たちと「協生農法」を始めた圃場での風景です。

畝の中心に果樹を植えてその周りに様々な種類の作物の種や苗を植え付けていきます

一番下に協生農法のリンクあります。

 

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間違い等あればコメントで教えてください🙇

 

「農業全書巻の一

農事總(総)論 

穫収(かりおさむ)

第八」
 
P77~79
 
種(ウユル)を稼(カ)と云ひ、斂(オサムル)を穡(ショク)と云ふ。
種斂は年中の始終なり。
春力め耕し、秋穫り收むる事は暫くも由断なく、偏に盗賊をふせぎ守るが如く、風雨のためにそこなはれ零落せん事を片時も忘るべからず。
 
又曰く、稼は農事の本、穡は農事の末なり。 
本かるくして末おもく、前ゆるくして後急なる事は其理なき事也。
されば秋の収めの多からん事を願はば、則ち春の耕しを懇にし怠るべからず。
春のつとめ委しければ、秋の實りに利あらんことかならず嚢中の物をとるが如くなり。
 
扨(サテ)又秋のかり収めは、物ごとよく實りて日和をよく見定め、寔(マコト)に火を救ふがごとく、精力をつくし務めはたらき、しばしも由断なく刈り納むべし。
唯一時の風雨により年中の苦労を空しくする事もあれば、夜を日につぎてかりとるべし。
耕作のならひにて刈りおさめて場に入れざれば、安堵はならぬものなり。 
其歳の豊凶の極めも、必ず穫り取りたる日ならではさだまらざるゆへ、災もなくり収むるは誠に大きなる幸此上もなき事なれば、 祝ひ悦びて土神に手向祭るべし。
 則ち天地の萬物を生立つる氣も人の禀(ウ、与える)くる氣も、もと二つなき理りなれば、人憂ふれば、天もうれへ、人悦べば天も悦ぶ。
然れば天地の人を育ふために儲けたる穀物を、事ゆへもなく苅り収めぬるは有難き仕合なりと丹誠を盡して祝ひ悦び樂むべし。
夫れ人事の誠により天地の感應ある事は、形に影のしたがひ、聲(コエ)にひゞきの應ずるがごとく速かなる事なれば、正直を専にし、怠りなく力むれば、其ほど ほどに随ひ、福を得ること疑ふ所にあらず。
然れども凡人のならはしのあさましきは、欲にいたゞきなく、其分際をわきまへず、妄りに貪る心のみ深くして、天のあたへを不足とばかりうれふるは、これ誠に天道にさかふ理りにて、災を招くなり。
されば人々貧富をば天にまかせ、其職分をよくつとめて天分を楽むべし。
殊更農人は春の耕し夏の芸ぎりに力を盡し、時至りぬる秋のおさめをつゝしんで刈り取るべし。 
又種ゆる物は陽気を以てうへ、かる物は陰氣になりて攻むる道理にて、うへまく事は一日も早く時に先立つをよしとす。
陽氣はすゝむゆへなり。
刈り収むるは少し遅く、よく熟して一日二日もをそきをよしとす。 
陰氣はをくるゝゆへなり。
されども麥(麦)を苅るには、 初は先づ少し青穂をまじへてかるほどになくては、終りに梅雨のおそれあり。
跡のたがやしも又時にをくれて段々夏秋の芸ぎりまでをくるゝ事なれば、片時も由断すべからず。 
箕笠をきても苅り取るべし。
 
又蕎麥は十分に實りを待ちて上迄殘(残)らず黑きを望めば、一夜の霜又暴風にあひて手を空しくするものなり。
此ほか豆は場(ニワ)に熟すとて、靑きさやの末に少々残れる内に早くぬきて場にて干しうちとるものなり。
又粟と黍とは同じ類の物なれど、きびは早くかるべし。
をそければ實落つる事
あり。 
粟はをそく苅るべし。 はやければ粃(シイナ、シイラ)多し。
苅り収むるには天氣の陰晴をよく考へはかるべし。
刈りをきて雨にあへば損をみる事おほし。
又苅物は取分け鎌のうすくよくきるゝをゑらび用ゆべし。
鈍きかまにてかれば、穀子もおちやすく、尤其身も苦労してはかゆかざる物なり。 
少しの造作をいとはずよくきるゝを用ゆべし。
又前漢書に記しをけるは、穀を種ゆることは一色を多くは作るべからずと。
いかんとなれば五穀を始め色々雑穀数多く作れば、たとひ凶年にても其中に必ず利を得る物もある事なれば、皆損ずるまでの愁はなし。
若し一種を多く作りて相應する年は、大利を得る事もあれど、それは稀にして、災害にあふ事は多し。 
農人必ず色々を作るべしと見えたり。
殊に土地の相應不相應もあり。
品々のたねを求め作るべし。
 
〇意訳〇
 
穫収(かりおさむ、収穫の事)
 
種(ウユル)を稼(カ)と言い、斂(オサムル)を穡(ショク)と言う。
種斂は年中を通じて行われる作業です。
秋穫り收むる事は暫く由断なく、偏に盗賊をふせぎ守るが如く、風雨のためにそこなはれ零落せん事を片時も忘るべからず。

春には力を込めて耕し、秋には収穫を行うことは慎重に行うべきで、盗賊から守るように、風雨による被害や損失を防ぐためにも、一時も油断することは許されません。

また、「稼」は農事の「本」根本であり、「穡」はその「末」結果であると言われます。

根本を軽んじて結果を重く考え、最初を緩くして後の段階を急ぐことは、その理にかなったことではありません。
(本末転倒?)
つまり秋の収穫を豊かにするためには、春の耕作を丹念に行い怠らないことが重要です。
春の農作業がしっかりと行われれば、秋の収穫には必ず利益がもたらされます。
(「嚢中の物をとるが如くなり」は袋の中のものを取るように簡単の意味)
秋の収穫も重要で、天候を見定め精力を傾けて刈り入れることが成功の鍵です。時間を惜しまず、一刻も早く収穫を行うことが肝要です。
(タイミングが重要)
ただ一時の雨風により年中の苦労が空しくなる事もありそうなら夜も徹して刈り取るべし。収穫して庭(場)に入れ保管しなければ、安心はできません。

収穫の日は、その年の豊凶が決まる重要な日です。災害もなく収穫できることは、大きな幸運です。その喜びを感謝し、土地の神々に感謝の気持ちを捧げることが大切です。

 人々の感情や行動と、天地の万物「全ては一つ」です。人々が悲しむときには天も悲しみ、人々が喜ぶときには天も喜ぶと考えられています。

天地の人を養うためにある穀物を、事もなく苅り収められる有難き幸せ(仕合せ)と丹誠を尽くして祝ひ悦び楽しむべし。

人の誠実な思いの伴う行いが天地に影響を与えることは、形が影に従ったり、声の反射のように速い事で、誠実さを心がけ、怠らず努力すれば、その成果は適切に報われ、幸福を得ることに疑いの余地はありません。

しかし多くの場合、人々は欲に駆られ、分相応をわきまえず、無謀に欲望を追求し、天の与えるものを不足と感じる傾向があります。しかしこれは、天道に逆らう行為であり、災いを招くこととなります。

​​だから人々は貧富を天に任せ、自分の職務を適切に果たし、与えられた才能や役割を喜ぶべきです。

特に農民は春の耕作や夏の耕運に力を尽くし、適切な時に謹んで収穫を行うことが重要です。

種まきは陽気に従って植え、収穫は陰気に従って攻める。したがって、種まきは一日も早く、時に先んじることが望ましいです。

陽氣は進む性質だからだ。

収穫は少し遅く、よく熟して一日二日も遅くを良しとする。 

陰氣は遅れる性質だからだ。

しかし麦の収穫は、 最初は少し青穂を交えて程度でなくては、終りが梅雨にかかる恐れがある。

後の耕作も又時に遅れて段々夏秋の草取りまで遅れる事なれば、片時も由断してはならない。 

カッパ(箕笠)を着ても苅り取るべし。

 

又蕎麦は十分に実りを待って上迄残らず黒い事を望めば、一夜の霜又暴風にあって苦労を空しくするものだ。

このほか「豆は庭(場)に熟す」と言って、青いものがさやの末に少々残る内に早く抜いて庭にて干しておくものだ。

また粟(アワ)と黍(キビ)とは同じ類の物だが、きびは早く刈るべし。遅ければ実が落ちることあり。 

粟は遅く苅るべし。

 早ければクズ(粃)が多い。

収穫には天氣の陰晴をよく考えはかるべし。

収穫時に雨が降ると損する事が多い。

また収穫には取分け鎌の薄く良く切れるものを選び用いるべし。

切れ味の鈍い鎌で刈れば、穀子も落ちやすく、体も苦労して捗らない。 

少しの手間を惜しまず良い道具を使うべきだ。

中国の古い文献には、穀物を育てるには一種類を多くは作るべからずと。

つまり五穀を始め色々雑穀数多く作れば、たとえ凶年でもその中に必ず利を得る物もあり、全て損するまでの愁はない。

(自然農や協生農法にも通じますね)

もし一種類を多く作ってそれに相応する年は、大きな利を得る事もあるがそれは稀で、災害にあう事が多い。 

農人必ず様々な作物を作るべし。

土地に合う合わないもある。

品々のたねを求め作るべし。

 

○感想○

 

今回もまた最近の経験や考え学んだことともリンクしていてとても大きな反省と学びになりましたにっこり

欲をコントロールすること

誠実に日々過ごすこと

様々な種類の作物を同時に育てること

 

感謝ですお願いお願いお願い

 

 

協生農法実践マニュアル⬇️(PDF 56P)

https://synecoculture.sonycsl.co.jp/public/2016%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E7%89%88%20%E5%8D%94%E7%94%9F%E8%BE%B2%E6%B3%95%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB_compressed.pdf

 

協生農法の入門版「シネコポータル」⬇️(PDF 14P)

https://www.sonycsl.co.jp/wp-content/uploads/2021/07/synecokit_ver034j20210723.pdf

 

 

 

 

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