どんなに素晴らしい技術や表現を持っていても、
生まれた国の人達が認めなければ評価はされない。
具体的にはマスコミが評価しなければ、世論として反映されない。
今回の浅田真央選手の評価がまさにそうだった。
それだけの理由で彼女は二位になったといって
も過言ではない。
GPFのトリノの地で女子で、3A、3-3二種類、一つは後半に入れると
いうプログラムを彼女はほとんど完璧に演じた。
上半身の動きも素晴らしく、フィギュアスケート本来の美しさ、それには
裏打ちされた技術力があった。今後語り継がれるほど素晴らしい演技だった。
一位になった選手も完成度の高い演技を披露したが、そういう次元を超えていた。
しかし、優勝には届かなかった。
ジャッジは彼女の偉業を評価しなかったのだ。
またその結果について、疑問を呈する声は一部にあがっただけだった。
マスコミは全く言及せず、ファンですら「いさぎよくない」「ルールだから」
という理由で、彼女の偉業に理解を示さなかった。
彼女が生まれた日本という国に問題があったといっても過言ではない。
日本のマスコミは彼女の3Aを跳べる技術に対しては絶賛したが、
音楽を表現する表現力に元々理解をしめしていなかった。
ライバルがいないと盛り上がらないから対決として好敵手を決め、
ライバル選手は表現力、彼女は技術力という通り一遍のわかり
やすい評価で違いを決め、本当の評価を下そうとしなかった。
彼女の表現力もジュニア時代から、海外では認められていたというのに。
解説者すら、彼女を真に評価しようとしなかった。どの試合でも
演技中は彼女のささいなミスを残念そうにつぶやく声ばかりが目立ち、
美しい表現を誉めることはほとんどなかった。あったとしても、彼女以外の
選手の方をよく誉めるので、彼女の演技がどれぐらい群を抜いて素晴らし
いのか分からなかった。GPFの時は、更に他選手とは明らかにトーンが違った。
去年はそうではなかった。
スケートアメリカの解説は彼女がどれぐらい凄いのか、きちんと解説していた。
PCSで今回彼女は低い評価しかされなかったが、それはある意味当たり前だ。
彼女の生まれた国のマスコミも、解説の金メダリストもあまり評価しない演技
なのだ。特に表現力に関しては、ライバル選手に劣っていると平気で書く。
音そのものが、演技から紡ぎ出されていくような美しい演技だというのに。
本来なら、自国の選手なのだから、大げさなぐらい評価してもおかしくないというのに。
ジャッジも自分たちの評価に疑問を持ち、下げたとしても文句は言われないだ
ろうと考えてもおかしくない。
ファンですら、今回の負けに対して納得している人が多い。
ショートであれだけひどいミスをしたのだから仕方がないという論調が多い。
だが、本当にそうだろうか。
一位の選手も彼女と同じ要素抜けというミスを犯した。
転倒もしくはそれに近い失敗を一度したのも同じだ。
だが圧倒的に高難度かつ素晴らしいプログラムは彼女だった。
フィギュアに必須な美しさを披露したのも彼女だった。
本来ならPCSでその部分を評価してもらわなければ、高難度
なものに挑戦する意味はない。
だが、PCSでは大きく点数を下げられた。一位の選手は素晴らしく完成度は高か
ったが、転倒はやはり美しい演技を台無しにした。
今年のPCSの相対的な評価はこれで決まってしまった。
彼女が今後一位の選手に勝つには、3Aを二回いれ、ショートプログラム
でも3Aを入れる必要がある。PCSではもう勝てない。それでも一位の選手が
一度か二度ミスをしてくれなければ勝てないかもしれない。
一位の選手が生まれた国は、ずっと自国の選手を特別な選手として
褒め讃えている。演技の価値を分かっていて、宣伝しているのと同じだ。
だが日本はそういう国ではない。他国の選手も称える。
サッカーや野球などの他国を誉めても問題のないスポーツなら選手に
影響は及ばない。逆にフェアであり、公平であるといえる。
だが、フィギュアスケートは違う。美しさという非常に主観的なもの
も含めて争うのだ。日本という国がまず彼女の凄さ・美しさを認めて
初めて世界も注目する。だが、彼女の凄さ・美しさは
日本というマスコミ・解説者は全く分かっていない。
分かっていたとしても、伝わってこない。
分かっているのは、海外の解説や関係者だが、その評価は揺らぎ
始めている。
オリンピックは彼女はロシアからでた方がいいのかもしれない。