フェアレディZの開発を指揮した片山豊 | 世界珍ネタHunter!

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日産フェアレディZの開発・販売を企画したのは、1960年代当時、米国日産の初代社長であった片山豊で、彼は其れまでのイギリス製小型スポーツカーの模倣だったダットサンの北米市場拡販のために日産のフラグシップモデルを求めていた。当時の日本製品に対する評価は「安かろう悪かろう」と真に冷ややかであったしそう言ったイメージを払拭させるには品質を向上させ北米市場のニーズに適合したスポーツモデルの開発が重要だと要望し続けた末に、当時の日産社長だった川又克二からようやく開発のゴーサインを得た。片山は経営畑で技術者ではなかったが、アメリカ市場でリサーチしたニーズを日産本社の開発陣に明確なコンセプトと適切なアドバイスを与え、初代「Z」のプロデュースを指揮した。片山自身はインタビューで「ジャガー・Eタイプのような車を造ってくれ」と要望を出したと述べており、初代Zのスタイリングはその期待を十分に満たすものとなったという。その後は、米国日産の社長を務め、日本車の持つ機能美と日本人の細やかなサービスを武器に、日産車をアメリカに浸透させることに成功した。世界的な名車「フェアレディZ」の生みの親として知られ、その後もブルーバード510の開発も主導。本田宗一郎、豊田英二、田口玄一に続き、エンジニア以外では異例の米国自動車殿堂入りを果たした片山豊が、2月21日に亡くなった。享年105歳。