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上海派遣軍司令官陸軍大将白川義則と上海日本人居留民団行政委員長で医師の河端貞次が死亡。第3艦隊司令長官海軍中将野村吉三郎、第9師団長陸軍中将植田謙吉、上海駐在総領事村井倉松、上海駐在公使重光葵、上海日本人居留民団書記友野盛ら多数が重傷を負った。後の1945年9月、東京湾のミズーリ艦上で行われた降伏式典で降伏文書に署名した外相(当時)重光葵が杖をついているのはこの事件で片足を失ったためである。
尹奉吉は現場で「大韓独立万歳」を叫んだ後に自殺を図ったが、日本の関係者に取り押さえられた。5月25日、被害者が軍人であったことから上海派遣軍軍法会議で裁かれ、死刑判決を受けた。11月18日 大阪へ移監。12月18日、陸軍第9師団[3]の駐屯地である石川県金沢市へ連行されて、練兵場のある市内、三小牛山で12月19日7時27分銃殺刑に処された。遺体は隣山である野田山の金沢市共同墓地に埋葬された。
石川県金沢市に建てられている抗日運動家・尹奉吉(ユン・ポンギル)の殉国記念碑前に
竹島は日本の領土と書かれたくいを打ち込んだとして提訴された鈴木信行氏が韓国の裁判権が及ばない日本国内の事件にも関わらず韓国での裁判で敗訴した。ソウル中央地裁は、尹奉吉の遺族が鈴木氏に損害賠償を求めた訴訟の判決で、鈴木氏に対し1000万ウォン(約89万円)を支払うよう命じた。地裁判事は先月5日と19日を弁論期日に指定し、訴状と期日通知書を送ったが、鈴木氏は法廷に出席する代わりに同地裁にくいを送付した。裁判所側はこれを鈴木氏が自白したとみなし、判決を言い渡した。 ただ、遺族が鈴木氏から賠償を受け取れるかどうかは分からない。韓国内に鈴木氏の財産がないことが確認されれば日本の裁判所に再び訴訟を起こさなければならない。遺族は判決直後、鈴木氏の行為をテロと非難した上で「自身の政治的目的を達成するための妄動だった。再発防止に向けた警告の意味として訴訟を起こした」と述べた。

