湖底に眠る戦車を探せ! | 世界珍ネタHunter!

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昭和20年8月の終戦時には、四式中戦車は生産型第1号車が未完成であったとも、2両完成とも、6両完成ともいわれるが、機甲整備学校に2両があったことは間違いなく総数6両が終戦時には現存していた。戦中から五式中戦車の情報を掴んでいたアメリカ軍は、四式中戦車を五式、五式中戦車を新型試作車と誤認し、戦後はアメリカ・メリーランド州のアバディーン兵器試験場に持ち去った。現在、日本軍の他の戦車・自走砲は、今日までに展示または処分が確認されているのだが、四式中戦車と五式中戦車に関しては、その後の消息が全く分かっていなかったが、最近になって、浜名湖北の猪鼻湖(静岡県三ヶ日町)に終戦後、四式中戦車が九七式中戦車、ウィンザー・キャリアと共に沈められたことが判明している。模型メーカーファインモールドや兵器・戦史研究家、一部モデラー等の有志が中心となった呼びかけで浮揚調査作業嘆願の署名が集められたが、すでに当該車両が湖底にて魚礁化していたため漁業補償問題が発生し、地元漁協との折り合いが付かず物別れに終わり、浮揚調査は断念せられる結果に終わった経緯がある。四式中戦車が沈められているのは浜松北区三ケ日町大崎と下尾奈を結ぶ瀬戸橋付近、地元では昔から湖底に沈められた戦車の存在は有名だったが、終戦間際の陸軍が技術を集結した四式中戦車 チトだということは知られていなかった。今回調査に乗り出すのは、三ケ日町の若者達でつくるまちおこし団体「スマッペ」。中村健二事務局長が戦車が歴史価値の高いチトだと聞いたのがきっかけだ。中村事務局長がチトについて調べているうちに、水没作業に携わった技術兵で、戦後同町に暮らしていた太平安夫氏が既に亡くなっていた事を知った。当時の町の状況についても高齢化によって情報収集困難で「地元の歴史を次世代に残す為には今しかない」と調査を決めた。実際の調査には、豊橋市の魚群探知機メーカーの協力を受けた。湖底に沈む戦車の位置を確定し、ダイバーによる水中写真の撮影が大きな目標だ。一連の活動記録をドキュメンタリー映画として撮影し、映画祭などの出品も予定。来年2月をめどに兵器や戦史の専門家によるシンポジュウムも検討している。






【最初から対戦車戦闘を想定してつくられた本格的な対戦車用戦車となったのが四式中戦車である。それ迄の九七式中戦車チハ改、一式中戦車チヘまたは三式中戦車チヌは、元が歩兵支援用戦車として開発された物であったが、これは当時の日本国内また当時のアジア諸国の一般的な国情においては、貧弱な道路、鉄道、橋梁、そしてまた港湾設備や輸送船のデリックの積み込み能力など、インフラ整備が未発達であり、日本の戦車設計においてはこのような状況下でも輸送・運用できることが求められた事から戦車の重量を軽減することが要求され日本の戦車は装甲が薄く、車体を小型に、弱武装にせざるを得なかった。しかし、四式中戦車の設計は既存のインフラの制約におさまることを求められなくなった初の日本最強の中戦車と言われている。】





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