【最初から対戦車戦闘を想定してつくられた本格的な対戦車用戦車となったのが四式中戦車である。それ迄の九七式中戦車チハ改、一式中戦車チヘまたは三式中戦車チヌは、元が歩兵支援用戦車として開発された物であったが、これは当時の日本国内また当時のアジア諸国の一般的な国情においては、貧弱な道路、鉄道、橋梁、そしてまた港湾設備や輸送船のデリックの積み込み能力など、インフラ整備が未発達であり、日本の戦車設計においてはこのような状況下でも輸送・運用できることが求められた事から戦車の重量を軽減することが要求され日本の戦車は装甲が薄く、車体を小型に、弱武装にせざるを得なかった。しかし、四式中戦車の設計は既存のインフラの制約におさまることを求められなくなった初の日本最強の中戦車と言われている。】

