スズキ GSX-R4001976年の終わりごろ、スズキは日本でモーターサイクルを生産する4社中、4サイクルエンジンを手がける最後のメーカーとしてGS750とGS400の生産を開始したが開発当初、スズキの設計開発陣にとって4サイクルは初経験であったから、特に新技術を投入することをせずに1975年頃、市販されていた他社のモーターサイクル用4サイクルエンジンを分解調査等をし、当時の先進的技術で造られたエンジン構造、寸法、加工精度や材質等を調べた上で、手堅く、かつ高品質を念頭に入れて設計した。幸いGSシリーズは高い評価を受けたが、、そのころの技術レベルを現在の視点で見ると、1960年代のものであったし、1980年代当初までは、すべての2輪車メーカーが、共通して20年も昔の技術を踏襲し続けていた。スズキの20年前の技術から脱却し4バルブのTSCCを開発し、更に車体重量の大幅な軽量化も行った。即存クラスの平均車体重量から22kgも軽量化しようとする軽量化設計も立派な新技術だ。20年前に比べれば材料の品質はグレードアップしているし、熱処理や鍛造、鋳造を含めた製造技術も大幅に向上している。無論、設計技法も大きく進歩し、部品の強度計算も、20年前の古典的な材料力学法から大きく進んで、コンピュータによるシミュレーション解析の導入により、より正確な設計が可能となる事から、無駄なぜい肉の削げ落とす事が可能となり、凡そ20%くらいの軽量化は可能となった。スズキの場合、1980年ごろには既にコンピュータシミュレーション技術はほぼ確立されていて、国内4社の中でも導入としては早いほうであった。そのひとつに有限要素法(FEM:FiniteElementMethod)と呼ばれるコンピュータによる応力解析方法があり、この計算技法を用いれば、実際に品物を造って実験とテストを繰り返さなくても最適設計ができた。モーターサイクルを構成する部品の持つ強度はコンピュータシミュレーションによって知ることが出来、更にある部品に所定の力が加わったとき、壊れるか壊れないか、壊れるとすると、その場所はどこからかなのか?壊れないときには、丈夫すぎる部分はどこか?が直ぐに判明した。力の加わる度合いを応力(Stress)と呼び、ある部品に所定の力が加わったとき、場所によって応力は均一ではない。過大応力の個所は壊れるし、過小応力の部分は無駄が多いことになる。これらはコンピュータグラフィックとして画面にカラー表示されるので、ひと目でその適否を判断することができる。過大応力部分は補強し、過小応力部分は除肉して軽い部品の形状を求めることができる。このことを、実際に部品を造らずに、所謂「机上実験」で部品評価が出来る事はコスト削減等のメリットがあった。 1983年になったころ、ホンダがエンジン最高馬力の自主規制をすると発表し各社ともにヒートアップしつつあった高出力競争に歯止めをかけないと安全上も好ましくないというのがその理由であった。提示さたホンダの案を各排気量ごとに見ても、それぞれの値は決して低くはなかった。走りを楽しむには充分である。オートバイメーカー問の野放しの馬力競争は、ユーザーにもメーカーの将来にとってもよいことではないと考え、スズキはホンダの意見に同調する事になった。ヤマハとカワサキも同様であり、数値の確認・検討の後、国内4メーカーの賛成によって、日本国内における排気量ごとの最高出力自主規制が長きに渡ってスタートしたのである。具体的には、50cc:7.2ps、125cc:22ps、250cc:45ps、400cc:59ps、750cc:77psであり、その中間の排気量は上記の値に比例して決めようということになった。この自主規制は2007年になって撤廃されたが、年々技術的進歩により高性能化するモーターサイクルが数年ごとに最高出力の数値を見直さずに長期に渡って自主馬力規制が施行され続けるのは無理があった。自主馬力規制が施行され始めた頃に、一発必中狙いの商品だったRG250γの第2弾として、GSX-Rが企画されていた。エンジンはDOHC4バルブの水冷並列4気筒で排気量は400cc、 2サイクルのRG250rがスプリントレーサーならGSX-Rは耐久レーサーをイメージしたもので、その原形は鈴鹿8時間耐久レース優勝車のヨシムラ・スズキGS1000Rとすることにした。当然GSX-Rは走りを追求したモデルだが、エンジンの最高出力は4メーカーの自主規制による59psを上限とせざるを得ない。これでは400cc車は4社とも59psに各メーカーが揃ってしまうとなるとエンジン性能だけではライバルに差をつけられない。他社との差別化をはかる為に軽量化によって、走り"の面での差を付け、車体重量が軽ければ、走る、止まる、曲がるの3つの基本機能すべてに有利となる。さらに、同じ走りをするなら燃料消費も良好となる。当然、軽量化は車体1台に使う材料も少なくなりコスト安となる。1982~83年当時、各社400ccクラスの公表平均乾燥重量は188kgほどだった。スズキのGSX400FWは比較的軽量な方だったが、それでも178kgもあったから、新設計のGSX-Rはそれよりも22kg軽くした156kgを乾燥重量の目標値として開発設計が行われたが。GSX-Rを担当するプロジェクトチームのリーダーが猛然と反発してた。「現行のものよりも22kg、12.4%も軽く設計できるわけがない」と・・・この発言も無理からぬことだった。当時の250cc4サイクル4気筒空冷エンジンを搭載したGS250FWの乾燥重量が157kgで、それと同じ4サイクル4気筒エンジンを搭載し、排気量を1.6倍の400ccとした水冷の車両が156kgの目標値だから、当然数値には合致しないとの意見だった。しかし、当時新たに導入されたコンピューターによるFEM技法などでチェックすると、無駄な部分が多く見付かる。部品が大きすぎたり、無駄な肉がついていたりして、全部の部品が重量を重くしていた。GSX-Rのコネクティングロッドの軽量化に際し、従来のものをFEM解析してみると、強い部分と弱い部分がアンバランスに配置されていることが判明し、“コンロッド全体にわたり応力を限界値近くに合わせて、アンバランスをなくして軽量化する”方針を打ち出した。GSX-R400の乾燥重量を目標値の156kgとした時点から、若い設計者たちの苦闘が始まったが、当時からすれば余りにも過酷過ぎる減量値だったからで、全ての部品別に減量値を割りつけられた設計者たちは、最初は大いに戸惑ったようだった。設計の仕事における内容はふたつに分けられる。すなわち、部品の配置を決めることと、個々の部品の形状を決める、である。部品の配置を決めるに当たっては、無駄なく整然と並べられ、走るために不要な部品を付けず、部品の点数をできるだけ少なくする。部品の大きさは最小限にし、部品どうしのスキマは0.1ミリ単位で、場所の無駄をなくし全体をスリムに小型にした。部品の形状を決めるに当たっては、部品に加わる応力分布をできるだけ均一にし、応力の大きさは材料の持つ耐力の70~80%にするなどをして一切の無駄をなくした。それまでの設計では耐力の20~30%しか使ってないので、その分どうしても重量が嵩む。この様な設計をし、試作された部品を手にするとあまりのスリム化にちょっとびっくりするくらいのものだったという。それを見ただれかが、「お~寒~い」と言ったほどだった。GSX-Rの開発プロジェクトチームのメンバー達は、上記のようなことを考えながら、当然だが、機能と製造コストのことも考慮に入れて、極短期間で設計を完了させた。3カ月ほど過ぎてGSX-Rの試作車が組み立てられプロジェクトリーダーはさっそく試作車を秤に載せ計量した。なんと秤の針は156kgをわずかに割っいた。完成された車両は軽量、高剛性のアルミフレーム、水冷並列4気筒4バルブ400cc、最高出力59ps/11000rpm、乾燥重量156kgのGSX-Rは1984年3月に発売された。デュアルヘッドライトを装備し、耐久レーサーイメージのスタイルを持つこのモデルは、RG250Tに続いて国内で大ヒットした。’84年の3月にGSX-Rを発売して間もなく、あるライバルメーカーが、「GSX-R400はホントに公表してる乾燥重量通りにそんなに軽いのか?」と驚いたと言う。