カワサキ Moto GP 最速に挑む男たち | 世界珍ネタHunter!

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カワサキのロードレーサーの歴史は、1964年に川崎航空機工業時代の大傑作マシン85J1のデビューで始まる。現在、Moto Gpにカワサキが参戦してるのはただ単にレースに優勝し自社ブランドを確立してモーターサイクルを多く販売する為だけ以外にも他社との技術力レースに於いて出遅れる事なく最先端技術の開発能力を高める事も目的としている。此れまでにカワサキは40年に渡るレース参戦の歴史の中で幾つかの成功を収めている。1960年代イギリスのプライベーターだったデイブ・シモンズによるGP500での1回の優勝と125㏄世界選手権の獲得。’69年のデイトナではハーレーのホープ、カルビン・レイボーンがA1RASを駆って4位、ウォルト・フルトンが9位に入り、大きな躍進を遂げた。この年からカワサキワークスマシンは全車がライムグリーンとホワイトのツートンとなり、ライダーのレーシングスーツ迄もが同色で揃えられて、最も美しいチームと評価される様に至った。更に’70年代終盤から’80年代の初めにかけて250㏄と350㏄の世界選手権を連続で獲得した。しかし近年のカワサキでのレース活動は、2002年1月にWSBの公式参戦をやめてMoto GPに移る事を決定し発表されたが、それは既にMoto GP参戦していた他メーカーとは1年以上のブランクを意味していた。発表から1か月も経たない内に開発マシンの1号車がテストされた。このプロトタイプは、車体を構成する大部分の部品がスーパーバイクのレースパーツとビックボアキットを組んだレーサーだった。このレーサーで新開発の自信を持ったカワサキは早速、当時のレースレギュレーションいっぱいの990㏄の新しいエンジンとフレームの設計と製作に取り掛かった。それから7か月後、世界スーパーバイクから引退したばかりの柳川明によって新たに作られたNEWマシンがサーキットでテストされた。ZX-RRと呼ばれたこのマシンは風洞でテストされた結果、空気抵抗を極限迄考慮され、エッジの効いた非常に近未来的なスタイリングだった。このマシンの最初のレース参戦は、もてぎの日本GPだったが、コーナー手前のブレーキングではリアホイールが跳ね、車体の安定感は高いとは言い難い状態だった。しかも、このマシンに乗る柳川もレース中盤でクラッシュしてしまい、結果は惨憺たる結果に終わったが、カワサキは2003年モデルのマシンの完成を急いだ。この2003年モデルのマシンは、もてぎを走ったマシンの発展型であり、珍しい事にフレームは剛性を持たせる為に砂型鋳造の大きなセクションを持っていた。エンジンは普通のDOHC4バルブ並列4気筒、シリンダーはほぼ垂直に直立しスーターが設計したスリッパークラッチと共に、3軸構成タイプではないギアボックスを装備していた。クランクケースはアルミブロックの削り出しで最大厚み5㎜で、それ以外はそれよりも薄かった。CNCで加工したクランクケースを考慮しても、1年以上のレース参戦経験のある他社のマシンと比較してしまうと、残念ながらマシンのレベルはスーパーバイクと同程度と言えた。前年のもてぎでの参戦時に問題となった、リアホイールの跳ね飛びはインジェクターボディに小さなステッピングモーターを取り付ける事で、入ってるギアのポジションとスロットルとの開度とエンジン回転数に応じてスロットルがわずかに開き、コーナー進入時のエンジンブレーキを和らげた。フレームはアルミ鍛造製のヘッドストックを持っていたが、剛性が高すぎてしまいサスペンションセッティングが出し辛くカワサキは問題の大きさに気付きレッドブルのクルーチーフだったハーミッシュ・ジェイミーソンを、問題の解決を助けるテクニカルアドバイザーとして雇った。彼は緻密なテストのプログラムを導入し、其れまでの剛性こそ全てというフレーム設計の概念を変えた。現在では、コントロールされた車体のしなりはリーンした時のフレームの動きに根本的な違いがもたらす事が明らかになっている。大半のファクトリーチームは2003年の初め頃までには、テスト等によって得られたデータにより車体のしなりがコーナリングに影響する事を理解していたが、カワサキは未だ車体のしなりがコーナリングに及ぼす影響には未だ十分理解出来ていなかった。





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