
ニンジャと呼ばれたZXシリーズの開発がスタートしたのは水冷直6モデルのZ1300を販売してまもなく、社内開発コード・ナンバー990が与えられ昭和53年に開発がスタートした。当時は、Z1RやZ100MRⅡ等のポテンシャルも既に他社が発表するニューモデルと比較したら優位性を保てなくなってきた。そこで、Z1デビュー時のセンセーショナルさを知るカワサキ技術陣にとって、昭和58年で10年目を迎える記念としてニューモデルを発表させる必要があった。企画されたニューモデルのZXのコプセプトは次世代のフラグシップマシン新900スポーツモデルZクラス最速と市販車での最大出力がテーマであり、加えて燃費、振動、騒音の全てにおいて新時代に相応しいマシンとして開発が勧められ、このZXの基本開発コプセプトは後のZX-14迄引き継がれる事となる。昭和50年代初頭に「ウチは空冷の、それも2バルブで十分やと考えております。」と他社がこぞって4バルブ化する中カワサキの技術陣は、自信を持ってジャーナリズムとユーザー達にこう発言した。それは、必要のない物は造らないと言う、技術屋の思想が100%表面に出た態度だった。そうしたカワサキの態度も、スズキがケルンショーで先鋭的なフォルムのGSX1100S カタナを発表しケルンの衝撃と言わしめた程のセンセーショナルを飾ると、もはやカワサキ技術陣の主張は既に立ち遅れた感があった。これを打破するべく原点に立ち戻ってZ1の伝統を最新技術で再現しようとしたのがニンジャのニックネームが与えられたGPZ900Rだった。Z1がモーターサイクル初のDOHCインライン4を導入し、オーソドックスなスタイリング感覚に徹したのに対して、900Rでは、モーターサイクルの概念を打ち消す努力がされた。当時の他メーカーは、ハイ・パフォーマンス性能についてはオーバー1リッターモデルで対応し、ターボを装着してのハイ・パワー化も必要不可欠だった。モーターサイクルのスタイリングとメカニズムは、数十年の間に様変わりし、加えてユーザー側の対応も、速くてトラブルのないモーターサイクルが当たり前となり、エンジンやサスペンション、タイヤに至るあらゆる設計基準が時代と共に進化を遂げていった。昭和50年代前後から、其れまで並列のみだったパワーユニットのレイアウトにも型式の多様化がみられ、新構想のV型ユニットもハイ・パフォーマーの仲間入りをしつつあった。だが、カワサキ技術陣はシリンダーやヘッド等のパーツ点数や生産効率上で、無駄のあったV型多気筒について、色々な方面から検討をした。加えてGPZ900Rのプロジェクト初期段階では、空冷インライン6気筒エンジンにもトライしていた。すでにCBX1000が市販された後のエンジン開発となったが、カワサキ技術陣が2バルブ化に固執していた時代だけに、軽量コンパクトなパワーユニットに仕上げられプロトタイプも製作された。Z1デビュー10年後に手掛けたZ1再来マシンとして当然、ハイ・パフォーマンスが必至で探究されてゆきつつも、エンジンの冷却方式が最初から水冷ではなかった。ホンダのCBX1000が発表された当時、105hps/9,000rpmでバイク業界の話題をさらっていたが、直ぐにツーリングタイプに変更された。カワサキ側では一応フォアよりコンパクトなシックスというテーマでZ650とZ1300をミックスした中間的な空冷インライン6気筒 2バルブユニットを選択していた。海外雑誌に掲載されたプロトタイプの写真は、Z1スタイルのヘッドカバーを備えた空冷6気筒エンジンで、明らかにZ1のイメージにこだわってデザインされていたが、後にカタナが発表された事でスタイルを一新する事になる。この試作された空冷6気筒エンジンを搭載したプロトタイプで走ったところ、カワサキ製マシンとしてはスムーズ過ぎてバイクらしさが感じられない!と判断され、Z1同様のインライン・フォアとして再開発されることで決定し、人の五感を刺激するモノがカワサキ車には必要であるとの結論に達した。しかし、新しい4気筒は、Z550、Z650そしてZ1000J系と言った往来のエンジンより、メカニズム的ノウハウを多く必要とした。新開発エンジンのテーマは振動対策で、既にこの頃Z440、Z750ツインにはバランサーが装着されていたが、オリジナルメカニズムとは言い難い構成だった。そこで考えられたのが90°クランクであった。4サイクルの吸入-圧縮-爆発-排気の工程を、それまでの2気筒ずつ作動させていた180°クランクから各気筒が順序よく作動するように90°にしてみようという発想だった。2サイクル3気筒は120°クランク360°を3分割して均等爆発にしており、4サイクル4気筒なら4分割の90°と言う発想だった。完成したエンジンは理論的に合致し、バランサーも加わってスムーズだった。しかし、点火系統は4ポイント4コイルと複雑になり、90°の為に低速時は爆発のタイミングが近過ぎて、まるでシングルエンジン的挙動を示したため、結果的には従来の180°クランクへ戻された。カワサキ車として初の4バルブ化も決定し、燃焼テストの結果として、2バルブよりも低速トルクが稼げて、加えて高回転も可能というエンジン特性が4バルブなら得られる事が判明し、其れまで2バルブに固執していたカワサキもホンダ、スズキに加えてヤマハの4バルブ進出を踏まえて他社に追随する形で4バルブの空冷フォアにトライした。Z1300のセンターカムチェーンや出力取り出しクランクの捩じれ現象による経験から、カムチェーンをエンジン左側に配置した。振動を軽減する為、クランクウェブ3-4気筒間にバランサーを設け、加えて出力取り出しの第1次伝導もZ1と同じギアとした。4バルブ化による効果は、低速域でもスムーズなガス供給が出来る為に扱い易くなり、加えて高速域でもハイパワーを得た事であった。だが、マッハⅢ、Z1等でのカワサキ空冷エンジンテストで探究してきた冷却フィンのデータが4バルブヘッドには当てはまらない事がわかった。必然的にハイ・パワーを得ると当然の事として、熱発生の増加がありパワーの低下を生じ、それを解決するには水冷化という技術手法しかない事が判明した。空冷量産エンジンにおけるピークパワーは、どうやっても100hps/ℓが空冷量産車の限界であった。つまり900㏄では90hpsしか出せない事になり、これはカワサキ技術陣にとって全く進歩的ではなかった。この為、熱ダレに強い水冷システムの採用が決定された。カワサキ車のそれまでのエンジン出力値はZ1RⅡの空冷2バルブが1,015㏄にて94hpsに対してZ1300の水冷2バルブが1,286㏄で120hpsと、それぞれが92.61/ℓ及び93.31/ℓとリッター辺りの出力には大差ないものだった。ところが4バルブ+水冷システムになるとポテンシャルは一気に向上して908㏄で115hpsでリッター辺りの換算に直すと126hps/ℓと35%もの出力アップが達成出来た。この新しいカワサキエンジンは昭和50年代のエンジン技術の粋を集約した物だった。ウエットライナー採用による水冷化のメリットは、シリンダースリーブが直接冷却となった事、又ピストンリングが技術の向上により薄手の1.0㎜にでき、 加えてオイル消費も空冷の10分の1になった。プラグ座温やヘッド温度も全開走行で250~260°で空冷の260~300°より14%も低く、高圧縮比11.0にしてもノッキングしない等々、多くのメリットも得た。4バルブと水冷パワーユニットならば真のハイ・パフォーマンスを得られると判断したカワサキ技術陣は、カム・チェーンの位置を左側にレイアウトした。その様式は、モーターサイクルとしは成功しなかったトライアンフの設計者エドワード・ターナーによって採用された空冷DOHC350㏄並列2気筒のトライアンフ・バンディッドやBSAで試みられた方式だった。当初のエンジン開発段階では、左側カム・チェーンで排気カムのみ駆動し、右側のカム・チェーンが吸気カムを駆動する両端カムチェーン方式が考えられた。しかし、量産及びメンテナンス性等を考慮して左側のみのカム2本駆けハイボチューン方式に落ち着いた。バルブ作動はカム山が1つで、カムの下側にあるY字で二股となり2つずつの級排気バルブを作動する二股スイングアーム型式となった。エンジン幅も空冷の750系より93㎜も左右幅が詰められ、キャブレターのレイアウトも均等ピッチが可能となり、キャブレター→インテークマニーホールド→バルブエキゾーストの流れをストレート化が出来、吸排気効率アップを達成し量産型エンジンとしては最高出力が得られ、出力値は115hps/9.500rpmを超ショートストロークの72.5×55㎜の908㏄から発揮しリッタークラス並みのパワーを獲得する事に成功した。フレームについてもパイプのバックボーンダイヤモンド・タイプをカワサキ車として初採用し車体重量も228㎏にとどまる。試作開発段階ではGPレーサーKR500のアルミモノコックをフィードバックしたアルミ部材を採用した試作車が製作されたが、量産車ではシートレールにのみアルミの角パイプが採用された。そして、エンジンマウントは、シリンダーヘッドのエキゾーストポート上部とクランクケース後部の2点をマウントし、この方式は量産車では思い切った手法で話題にもなった。ボディデザインは、ジェット戦闘機をモチーフにウエッジシェイプのスポイラー・スタイリングを採用し、量産車で最高速度250㎞/hをマーク出来る様に工夫された。しかも空気抵抗の軽減する為にバックミラー、ウインカーランプの突起物迄の影響を考慮して完成され、GPZ750系におけるCD値0.40から0.33という少ないものになった。フロント16インチホイールの採用によって、ステアリングヘッド高が従来車よりも38㎜も低く、スクリーン全高までの寸法も45㎜低いコンパクトなフォルムとして完成した。昭和58年11月、ZX900-Aの量産化がスタートし名称もGPZ900Rと命名された。外観デザインはGPZ750ターボ系の発展型といえるが、より洗練されたものになっている。6速ミッションの採用は当時としては珍しく、エンジンのピーキーさを予測させたが、実際にはフラットトルクで乗り易く、低速から高速を自在にカバーする為の6速ミッション採用だと判明した。アメリカでのモーターサイクル雑誌でのテストではゼロヨン加速10.55秒、最高速度244.9㎞/hをマークし、イタリアでも10.9秒、最高速度243㎞/hを実測して世界最速マシンの評価をカワサキ車として久し振り手中に収めた。それまでのカワサキ車最速であったGPZ1100で、ゼロヨン加速11秒、最高速度237.6/hであり、zxの水冷4バルブユニットのメリットが十分に発揮された。アメリカではニンジャのネーミングが与えられ、かってのA1サムライに続くセンセーショナルなネーミングのマシンとして広く知られる事になった。GPZ900Rは異例のロングセラーとなり、デビューから8年目にして国内モデルとして900Rが発売される事となった。ヨーロッパ向けGPZ900R(zx900)は、サイドカバー部がGPZ900Rの下にDOHC16バルブの文字が入り、北米向けのNinjaロゴとは趣を異にしていたのが大きな違いでだった。ヨーロッパでは各国でバイク・オブ・ザ・イヤーに輝き、Z1同様なセンセーショナルなスタートとなった。

