カワサキ初の軽自動車KZ360昭和34年9月からは車体のボディ・デザインに着手し車名はKZ360、エンジンは川崎航空機の明石工場、車体は岐阜工場で分散担当して試作車の製作が行われた。昭和34年当時の軽自動車エンジンは、その殆どが強制空冷2サイクル並列2気筒エンジンであった。これは部品点数による生産コストの低価格化には有利だった事から、部品点数の少ない2サイクルエンジンの採用は当然であったが、カワサキ技術陣は戦中DB601 4サイクル4バルブSOHC液冷V型12気筒エンジンのライセンス生産で培った技術と経験を生かし「最高の技術水準」を目指し強制空冷4サイクル2バルブSOHC並列2気筒エンジンを設計した。当時の車やモーターサイクルに用いられていた4サイクルエンジンの技術レベルではSOHC方式の国産自動車用エンジンは皆無に近く、ホンダが何とか並列2気筒エンジンをモーターサイクルに搭載したばかりだった。戦中ライセンス生産したDB601の経験をその後の軽自動車用エンジン開発に生かし、カワサキ技術陣は、初めて軽自動車用エンジンにSOHC方式を採用し排気量360㏄のユニットを7,000rpm迄常用域にする計画で設計に着手したが、カムシャフトやバルブ系の設計を行った所、カムはもとよりロッカーアーム系の追随法等に問題点を見出す事になった。コンピューターの発達した現在ならばCAEによって解析出来るが、当時未だコンピューターが無い頃の為、電動計算機によって解析して「バルブの動きをベースにしてカムやロッカーアームの設計を逆に行っていく」手法を考えだした。また、クランクシャフトも当初は生産性を考慮して組立式であったのを、DB601と同様に一体式に変更してプレーンメタル式と言う軽量化を果たした。当時の技術上の問題として加工技術やガソリンやオイルの品質面もあり、試作エンジンはオーバーヒート気味となり、エンジンスイッチを切ってもインテークマニーホールド側に残ったガスが燃焼するディーゼリング(又はライオン現象)が生じていた。この対策として従来の冷却ファンをクランク軸に直結して上方へ冷却風を送り込む方式を改め、シリンダーブロック前方にブロアーを装着しシリンダーやシリンダーヘッド面に直接前方から冷却風を吹きつける方式を採用して冷却問題を一気に解決した。ボア・ストロークは62×59㎜、356㏄にて目標出力20hps/7,000rpm、KZ360の最大速度90㎞/hを記録し、クランクシャフトは寒冷時の軸受の食い付き防止や振動面を解決する為に、左右2個ベアリングと2気筒間にもベアリングをマウントの3ベアリング式に出来る設計になっており、こうしたノウハウはやがて後のカワサキ車に受け継がれて行く。ボディ・スタイルは、航空機の機体製作で有名な岐阜工場によるモノコック製で、当時のレベルとしては高い水準といえた。しかし、昭和34年から昭和38年迄の開発期間に、他社の軽自動車販売網が確立し、更にカワサキB8人気による生産増強とメグロ250の明石工場での生産開始、また85J1の開発関係で、KZ360は遂に販売される事なく試作車として終わった。しかし、この後の4サイクル カワサキ車に与えた技術功績は大きく、KZ360の技術がメグロ系ユニットを一新したK2、W1そしてZ1,Z2へと波及して行った。