川崎航空機の再建 エンジン供給メーカーとして | 世界珍ネタHunter!
工場の操業が許可された川崎では先ずはエンジンメーカーとしてスタートし、戦後の復興期に乱立していた多くのモーターサイクルメーカーにエンジンを供給し、フル生産は昭和28年2月からで7月にKZ-2型、翌年10月にはKZ-3型にモデルチェンジし、大阪市の天野工業製RSY号の車体に搭載され最高速度は90㎞/hを記録した。KE型150㏄4サイクルエンジンは旧軽2輪車規格=2サイクル100㏄、4サイクル150㏄で製造されていた為、新たに施行される新規格=軽2輪車はすべて250㏄迄拡大される事を受けて開発設計が行われ翌昭和29年4月にKH-1型が完成した。外観は西ドイツのホレックス・スタイルとし、空冷4サイクルOHV単気筒、68×68㎜、247㏄、12HP/6,500rpmを発揮し天野工業のRSY号を始めとして同年6月には静岡県浜松市のロケット商会製クインロケットNR型に、昭和30年には愛知県名古屋市の伊藤機関工業製IMCのM,MS型に搭載され合計1386基が生産された。時代は戦後の混乱期から高度経済成長期に入ると、昭和25年に出された通産省の国民車構想に対し旧中島飛行機系の富士重工がスバル360を昭和33年に市販し、三菱も三菱500を翌年に市販した。当時、2輪メーカーで国民車構想に挑戦したのは昭和30年に発表されたスズキのスズライトだけだった。川崎もこうした世情の中で、2輪なのか?それも4輪なのか?、そのどちらを主力となる製品にすべきなのかの段階にあり、昭和34年の初めから軽4輪の試作に取り掛かった。
つづく


