液冷エンジンの疎開工場だった大阪府高槻市の高槻工場では昭和25年に4サイクルエンジンを手掛け、兵庫県滝野町の歯車工場では昭和27年に2サイクルエンジンが開発された。終戦迄飛燕や屠龍等の陸軍槻を生産し、太平洋戦争当時、世界のトップレベルの航空機と比べても遜色なかった高い技術力と航空機の開発力、製造を基にして培われた優秀な技術と経験が、戦後の川崎にも残されていた。復興への足掛かりとしてモーターサイクル用エンジンの開発と製造にとりくみ、やがて明石工場で一貫生産がなされるまでに事業の発展を見る。
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