チャールズ・リンドバーグ第二次大戦従軍記チャールズ・リンドバーグと言えば、1927年に「スピリット・オブ・セントルイス」と名づけた単葉単発単座のプロペラ機でニューヨーク・パリ間を飛び、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功し、1931年には北太平洋横断飛行にも成功して有名になったパイロットであるが、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発した後、共和党員であったリンドバーグはアメリカの孤立主義とドイツの政策に対する支持者となり、各地で講演を行い、1941年1月23日にはアメリカ連邦議会で演説し、ドイツと中立条約を結ぶべきと主張した。彼は孤立主義者の団体であるアメリカ・ファースト(America First)の主要なスポークスマンであり、1941年9月11日のアイオワ州デモインでの演説では、イギリス人とユダヤ人がアメリカに連合国側での参戦を働きかけていると述べた。この発言にユダヤ系アメリカ人が反発し、フランクリン・ルーズベルト大統領は彼のアメリカ陸軍航空隊での委任を解除した。1941年12月7日に日本との戦争が開始されると、リンドバーグは陸軍航空隊への復帰を試みたが、ドイツの政策に対する支持者だった事からルーズベルト大統領とその補佐官らに拒否され復帰できなかった。そのため、政府と航空会社(トランスワールド航空)に対する民間のコンサルティング会社を通じて、アメリカ政府に対し戦争協力した。1944年までに太平洋で、民間人として50回の実戦任務をこなし前線の戦地ではロッキードP-38での長距離航法やF4Uでの離陸法を指導した。また、連合国軍(アメリカとオーストラリア軍)による日本兵捕虜の虐殺・虐待をしばしば目撃し、その模様を詳細に日記に記して赤裸々に綴っていた。後の1970年9月20日、チャールズ・リンドバーグ第二次大戦記と題された書籍が出版された当時、正義の名の元に悪の枢軸国を倒した連合国軍兵士による戦争犯罪が無いと考えられていただけにアメリカ国内外を始めアメリカを含む連合国軍兵士による戦争犯罪があからさまにされた事で世界に強い衝撃を与えた。次回へつづく