日本軍の捕虜虐待を記した書籍 UNBROKEN(アンブロークン) | 世界珍ネタHunter!

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太平洋戦争で日本軍が捕虜のアメリカ兵に加えた虐待の実態を詳細に描くノンフィクションと題された本書が出版された。この本の出版によりアメリカ人が持つ反日感情を確実に高めるに違いない。しかも、アメリカ国内で従軍慰安婦だった韓国人女性の慰霊碑が建設され話題にもなった今、アメリカでは、この本がよく売れている。ニューヨーク・タイムズ紙の週間ベストセラーリストの単行本ノンフィクション部門でトップ5に13週連続でランクイン。直近は2位に落ちたが、それまでは6週連続でトップだった。尚、本書に書かれている日本軍による捕虜虐待を体験したのは、現在も93歳で元気に暮らすルイス・ザンペリーニという、イタリア系アメリカ人の男性の数奇な生涯を追うことで、日本軍の捕虜に対する非人道的な対応を描く。ザンペリーニは19歳の若さで長距離走のアメリカ代表として、1936年のベルリン・オリンピックに出場。メダルは獲得できなかったものの、力走が観戦中のヒットラーの目にとまり、ヒットラーと握手をしたという逸話の持ち主だ。出場を目指していた1940年の東京オリンピックが日中戦争などのために中止となり、ザンペリーニはアメリカ陸軍航空隊へ志願して入隊。B-24爆撃機の銃撃手として任務を遂行していた1943年5月27日、ハワイ・ホノルルから飛び立った乗機のB-24爆撃機が太平洋上でエンジン故障を起こし海上へ不時着水、からくも脱出して救命ボートで太平洋上を食料や水がないなか、鮫とも戦いながら47日間も漂流し日本海軍の艦船に発見されホノルルの南西3900㎞にあるマーシャル諸島のクェゼリン島に連行された。別名「処刑島」と呼ばれていたその島で、ザンペリーニは日本軍の捕虜になった。元オリンピックの長距離ランナー選手だったという経歴が日本軍側の興味を引き、処刑を免れたザンペリーニは日本へ送還される。大船、大森、直江津と各地の捕虜収容所を転々として1945年8月の終戦を迎え母国アメリカへと生還する。本書はザンペリーニが収容所で受けた虐待の数々を冷静な筆致で描いており、それだけに逆に日本兵の残虐さが鮮明に浮き上がる。特に、捕虜の間でthe Birdとあだ名された看守のワタナベ・ムツヒロという伍長(が、虐待の限りをつくす描写は圧巻だ。本書はワタナベについて、捕虜たちを痛めつけることで性的な快感を覚えるサディストだったとしている。例えば、次のような虐待の場面が無数に本書には出てくる。「バードはズボンのベルトの先を握ってバックル(留め金)の部分を後ろに振り、ハンマー投げをするように、自分の体に巻き付けるようにしてベルトを前方に振り出した。バックルはルイスの左のこめかみと耳にぶつかった。ルイスは頭を撃ち抜かれたような衝撃を覚えた。ルイスはそれまで、バードに殴られても決して倒れまいとしてきたが、打撃の強さと、激痛に見舞われ、すべてがまひした。両足が溶けるようにして、ルイスは倒れた。部屋が回った」別名バードと呼ばれたワタナベは、ルイスを目の敵にして、毎日のように殴りつけ、十分な食事を与えなかった。国際赤十字が支給した食料も、捕虜たちの手には渡らず、日本軍の兵士たちが横取りしていたという。本書は、次のように具体的な数値をあげ、日本による捕虜の扱いが、ナチス・ドイツよりもひどかったと断じている。「何千人もの捕虜たちが、殴られたり焼かれたり、銃剣で刺されたり、こん棒で殴られたりして殺され、銃殺され、人体実験で殺され、人食いの風習で生きたまま食われた。ごくわずかしか食事が与えられず、不潔な食品や水のために、さらに何千人もの捕虜たちが餓死し、容易に予防できるはずの病気のために亡くなった」捕虜に対する虐待がなぜ日本軍では日常的に行われたのか、本書は次に引用するように日本軍の特異なカルチャーにその原因の一端をみる。「当時の日本陸軍では、下士兵に対する殴打は日常的に行われていた。『鉄は熱いうちに打て。兵士は下っ端のうちになぐれ』ということが兵士の間ではよく言われていた。『殴られてはじめて強い兵士ができあがる』とも言われていた。すべての日本兵にとって、特に下級の兵士たちにとって、殴られるのは避けられないことだった。しばしば、毎日、殴られたのだ」確かに当時の軍隊内では、そういった不合理は当然の事として罷り通っていた事実はあるだろう。しかし、捕虜を虐待していたのだから、東京などへの大空襲や、広島と長崎への原爆投下はしかたがなかったという、論理を展開する点には些か納得がいかないし、戦争を終わらせるためには、原爆投下はしかたがなかったという、アメリカ人の保守層を中心とした典型的な理屈がみてとれる。本書では、収容所の看守による捕虜虐待につい詳細に詳述する一方でアメリカが広島、長崎に投下した原爆で何十万人もの民間人が死んだことには一切、言及しないが、次の一節では、そもそも原爆で被害者が出たのは、アメリカ側が空襲予告したにも関わらず無対応だった日本政府の責任だと言わんばかりだった。「大空襲があった1945年8月1日の同じ夜に、B29爆撃機は日本の35を超える都市にビラをばらまいた。空襲が近いので民間人は避難するように伝えるものだった。日本政府は国民にビラを当局に渡すよう命じ、ビラに書いてあったことを他の人に話すことを禁じた。ビラを所持している者はすべて逮捕した。避難が必要な都市として記載していた都市名の中には、広島や長崎の名前もあったのだ」。尚、この本書に記述されている事が事実とするならば、捕虜収容所の看守バードと呼ばれたワタナベ伍長は終戦後アメリカ側からBC級戦犯の容疑者として起訴され、軍事法廷にて裁かれたであろうが、該当者は見当たらなかった。では、アメリカ軍側はドイツ軍や日本軍捕虜に対して一切、虐待行為等無かったのか?と疑問に思えるのだが、この事は次回に記したいと思う。





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