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歌うギタリスト。

音楽を演奏する、聴く、語る時に、ブルースがあるか否かが判断基準になることがある。
ロックやジャズに代表される主にアメリカ発の洋楽には、この要素が何かと語られることが多いのは、
ブルースという根っこがあるからだろう。
ブルースは、アカデミックに追求するとあらゆる楽理から遠くなり、要素を細分化すると難しくなる。
ろばジョンの如く、悪魔の発する魔術にしておくのが一番無難であり、魅力的なのかも知れない。
ブルースという音楽が一番身近になったのは、ギターを媒介にしたロックミュージックが出てきてからだと思うけど、一番魔術にかかりやすく、理解が早まるのは、歌うギタリストのような気がする。
如何に音階から逸脱し、尚フォーマットを持ち続けて、狭いフォーマットの中で体得するか、ここから
アメリカンミュージックのあらゆるバリエーションが存在してしまう不思議さ。このこと自体がアメリカの合理主義だったりしたら、サブリミナル張りの凄いシステムだ。
この奥深いものと大陸的な広がりと覇権的商業主義が混在するダイナミズムがアメリカだと思いたい。
戦後の遅い時期に生を受けた私にとっては、アメリカに憧れ切れないやり切れなさを昭和一桁生まれの亡き父親と共有している気がしてならない。

STAR of POP

癌を克服した子供と家族はチャウシェスクのように制裁を受けるのだろうか。
執拗に彼を追いつめた検事はどのような人生を送ってきたのか。今送っているのか。
マイケルジャクソンは有罪である。
自分を追いつめた罪で。
大衆は有名人の私生活に興味を持ったり、尊敬し神と崇めたり、嫉妬心を燃やしたりする。
才能故に富と名声を得た者の気持ちは誰にも理解できるものではないのだろうし、
若くしてスターになった彼を常識だけで理解は出来ない。
彼はまぎれもなく神ではなく人間であった故、常人でないエゴもあるはずである。
自らの才能が招いた試練かもしれない。
人は誰でも自らの経験や置かれた環境によって育まれた思想や人格から自由にはなれない。
彼は生きて歌い続け、音楽を作り続ける天命があったはずである。
彼自身がそう望んでいたように。
ただ彼には沈黙したり隠遁する自由はなく、走り続けなければならなかった。
そう気付いた矢先に神様は彼に無限の安らぎを大衆の観ていないリハーサルステージで与えたのだろう。
星になった彼は優しく地球をみつめてくれるだろうか。

レスポール。

今まで一度も所有したことのない有名なギターでギブソンのレスポールモデルがある。
フェンダーストラトキャスターと並んでエレキギターの代名詞になるモデルのギター。

ギブソンのモデル名にまでなったレスポール氏が逝去した。
画期的な演奏法や録音機材の開発に注力したフロンティアギタリストは死ぬまで演奏して亡くなった。
エレキギター音楽はスタイルやジャンルに関係なく彼のような姿勢を貫くことがかっこいいと思う。

電気がなくてもギターは弾けるし音楽は存在する。
でもエレキギターはどんな反則も受け入れるし、志す者になんの制限も加えない。
あらゆるものを許容する形の中に、光り輝く花が結実する存在として、弾く者聴く者の心の中に記憶される、
そのような音を出したい。彼のように。

でもビブラートユニットが付いてないので、レスポールモデルは持ってません。
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