【古事記・日本書紀の重要性】

7世紀以前の日本古代史を知る史料は、

古事記と日本書紀(以下、記・紀とも)が中心とならざるを得ない。

海外史料や金石文、考古学的な発掘物は重要ではあるが、

断片的であることは免れないので、

認否のエビデンスには使えるが、

大きなメインストリームを描くことには無理がある。

重要視しすぎることによって全体がゆがめられることも

少なからずあるような気がする。

【記・紀は歴史史料として信用できるか】

明治の初めに来日したイギリス人の研究者であるチェンバレンは、

古事記と日本書紀の研究に関しても優れた実績を残しているが、

彼は文字の使用が普及していない時代の歴史記述を

信用することはできないと述べている。

文字の使用、暦法の採用がないにもかかわらず、

記・紀には詳細な説話や暦年月日が記されており、

言い伝えられたものを後代になってから記述したものに他ならない、

ということで、

言語学的あるいは民俗学的な価値は認めるものの

歴史史料としての価値は認めていない。

文字使用や暦法がある程度普及した

6,7世紀の記述は信用することができるという立場の研究者もいるが、

8世紀初頭の為政者の思惑によってゆがめられていることを

考慮せざるを得ないのも事実である。

【古事記と日本書紀の違い】

古事記が推古期までを対象として、

敏達天皇の孫として系譜に登場している舒明天皇以降を

大和朝廷の時代としているのに対して、

日本書紀は持統天皇が文武天皇に譲位したまでを対象領域としている。

古事記と日本書紀の立脚点の最も大きな違いであろう。

【日本書紀に記された7世紀】

このように日本書紀には、

古事記には全く描かれていない舒明天皇から持統天皇までの

重祚を入れて七代の天皇の時代が比較的丁寧に描かれている。

系譜としては、

舒明天皇の皇子として生まれた天智天皇と天武天皇が

8世紀の大和朝廷の創始者のような展開となっているので、

天智と天武の兄弟関係を含めて内容的にも

大和朝廷及び記・紀成立時の元明天皇・元正天皇の皇位を

正当化するための改変が多少なりとも加えられていると考えるのが

歴史の研究態度としては正常であって、

記・紀を史料批判する時にも

忘れてはならない姿勢であるということができるだろう。