【稲作文化が日本人の「和」を育んだ?】
ヨーロッパや、中国大陸、アメリカなどと比べて、
日本人は外圧と権威に弱いことが前項までに述べられているが、
その原因について蓑原氏と本郷氏は意見を述べ合っている。
アメリカの開発時代は土地はいくらでもあるので、
失敗したり意見が異なった場合は次の土地に移ればよいという中で、
次第に「多種多様性のなか、考えが合う者通しが集まり、
その後意見がわかれたら別の場所に移っていく。」
という選択肢があった。
ヨーロッパでは、
人口の割にはアメリカのような広大な土地があるわけではないので、
戦争が繰り返された。
日本は限られた土地の中に人々は暮らしているが、
稲作ができるようになってから、
「稲作はチームワークが大事だから、
みんなで連帯して一生懸命働かないと食べていけない。
だから、村という集団がとても大切で、
和を大切にしなければいけないところが
西洋とは違うと。」アメリカの学者が述べていたと、
蓑原氏は紹介している。
戦争に慣れていない日本列島の人たちは、
白村江の戦の後、
唐が攻めてくるかもしれないという恐怖感を抱いた時に
過剰に反応して近江遷都や律令制の模索などを始めたのかもしれない。
その後天武天皇時代になって
飛鳥に都を遷すと外圧を感じることはほぼなくなり、
「海の向こうから敵が攻めてくる危険を考える必要がなかったことが、
日本の国づくりの根幹に大きくかかわっているのでしょうね。」
と本郷氏はまとめている。