【『「外圧」の日本史』白村江の戦い】

本郷和人氏と蓑原俊洋氏の対談形式で進行する本。

(朝日新聞出版、2023年2月28日第1刷発行)

蓑原氏の質問に本郷氏が答える形になっている。

アメリカでの生活が長い蓑原氏は、

既成概念にとらわれずに論点となり得る素朴な疑問を提示しているので、

既成事実として見逃されていたことなどにも話題が及び

興味深い内容になっている。

この本の「まえがき」に蓑原氏が、

「歴史は韻を踏むと私は考えます。

この韻を的確に踏み、

明るい未来を可能とするために適切な提言を行うことが

私の追求する 応用歴史学 の本質です。」

と述べている。

蓑原氏は応用歴史学を専門とする研究者ということらしい。

第二章が「白村江の敗戦 —原型日本の成立—」である。

各章の冒頭に時代を読むというコラムが設けられているが、

テーマの概要が記されているのでわかりやすい。

第二章の 時代を読む のタイトルは、

「古代史の転換点となった白村江の戦い」。

七世紀の半ばに唐が北方と西方へ侵略、朝鮮半島への侵略を始めると、

朝鮮半島各国は対抗策を講じはじめる。

百済では義慈王がクーデターで権力を掌握、

高句麗では泉蓋蘇文が国王を斬殺して実権を握り、

新羅は唐の法律や官制を取り入れて国力の強化を図った。

倭国では中大兄が蘇我氏を滅ぼして、

叔父の孝徳天皇と共に大化改新に着手し中央集権国家を目ざした。

660年、唐は新羅と組んで百済を滅ぼす。

百済の遺臣である鬼室福信は倭国に人質となっていた

義慈王の子の余豊璋を国王に迎えたい旨伝えると同時に、

援軍の派遣を求めてきた。

要求にこたえて倭国は数万の兵を百済に派遣するが、

白村江の戦いであえなく唐軍に撃滅される。

白村江の敗戦後、

中大兄は外敵の襲来に備えて、

九州に山城・水城・烽など防衛体制を固めた後、

近江遷都を行い戸籍や法令の整備に取りかかった。

天智の死後壬申の乱で勝利した天武天皇は、

本格的に中央集権国家の建設に着手、天皇号を使用し始める。

天武の死後諸政策は持統天皇に受け継がれ、

飛鳥浄御原令の施行、藤原京の建設が進められて、

「一連の政策はやがて

大宝元年(七〇一)の大宝律令の制定、

和銅三年(七一〇)の平城京遷都として結実し、

日本は律令国家としての道を歩み始めるのである。」

と結ばれている。

このようにテーマごとに関連する時代像を俯瞰しているので

非常にわかりやすい構成になっている。

To be continued