【三国統一の英雄:金庾信(新羅将軍、最高の爵位太大角干)】

韓半島に高句麗・百済・新羅の三国がしのぎを削った時代

(三国史記によると前1世紀から7世紀)があった。

7世紀中頃になると、

高句麗と百済が連合して新羅を攻撃するようになり、

劣勢の新羅が唐に援軍を求めて、

唐・新羅同盟軍が660年頃百済を滅亡させ、

668年には高句麗を滅ぼした。

百済との親交が深かった倭国は

滅亡した百済の復興に援軍を派遣したが

663年白村江の戦いで大敗を喫する。

7世紀中盤の三国には、

国王を助ける参謀格の将軍に有能な人物が存在している。

高句麗の淵蓋蘇文、百済の鬼室福信は

日本書紀にも登場するのでよく知られている。

新羅には金庾信という将軍(最高の爵位太大角干)がいた。

三国史記の列伝の冒頭に

第一から第三まで三巻にわたって記される英雄である。

何故か日本書紀には登場していないようなのでなじみが薄い。

金春秋(後の武烈王)と共に真徳女王をバックアップし、

武烈王時代に高句麗と百済の麗済同盟に対抗するために

唐に救援を求め劣勢を挽回し、

百済高句麗を滅ぼして韓半島統一に至るまで中心的な役割を果たした。