【『日本霊異記』に記載された説話】

『日本霊異記』第十七

「兵災に遭ひて、観音菩薩の像を信敬したてまつり、現報を得し縁」

百済救援軍の一員として派遣され捕虜となった兵士の物語である。

兵士は伊予国越知郡の大領の先祖越智直。

百済での戦いで唐に敗れて八人の兵士がある島に捕らわれの身となる。

その地でたまたま取得した観音菩薩像を大切に信敬した。

八人はひそかに島の松の木を切って船を造り、

観音像を安置して念じていた。

ある日西風が吹いたので船に乗って脱出すると、

風に乗って筑紫に到着した。

この話を聞いた天皇(中大兄?)が何か望むことはあるかと尋ねると、

越智直は郡を立てて天皇に仕えたいと申し出た。

天皇の許しを得て越知郡を設立し寺を造って観音像を安置した。

その時から今に至るまで越智直の子孫が受け継いで守り続けているという。

【越智直説話に対する考察】

白村江の戦につながる百済の役に従軍し抑留された兵士の物語である。

子孫は伊予国越知郡の大領になっているので、

国に貢献し観音を信仰した結果現在の地位を得ているという

一族の正当化のための説話であるが、

同様な史実がどこかに実際にあったとも考えられる。

倭国が百済を救援する軍隊を派遣した時に伊予国からも徴兵したこと、

唐は捕虜の一部を島(この場合は、筑紫の西側の島)に抑留していたこと、

仏教信仰(この場合は観音信仰)が盛んであったこと、

郡の大領が世襲されていたこと、

筑紫に天皇がいたこと、

などがこの説話の中からうかがい知ることができる。

古代史の研究面でも生きた史料として貴重な説話である。